実録・日本共産党

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―その恐るべき素顔と歴史を探る―
思想新聞より

実録・日共産党

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その歴史と恐るべき素顔を探る 戦後編 45

「ベルリンの壁」崩壊
破綻した共産党理論


1989年、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊

 ソ連では1985(昭和60)年に登場したゴルバチョフ書記長が米国との技術競争に破れ、このためグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)を進めていきます。対外的には「新思考外交」を推進、欧州においては西欧との融和をめざして「欧州共通の家」を提唱しました。
 これに対して共産党は真っ向から批判を浴びせたのです。

レーニン死後最大の間違い
 ゴルバチョフ書記長の「新思考」を共産党は「レーニン死後最大の誤り」と断じます。不破委員長は88(昭和63)年10月22日の『赤旗』でゴルバチョフ書記長の「新思考」を「レーニンの名による史的唯物論の放棄」と決めつけ、次のように批判しました。
「史的唯物論の見地に厳格に立った『社会的発展の利益』についてのレーニンの見解を、超階級的な『人類的価値』に気ままにおきかえる『新しい思考』のこの誤りが、たんに理論上の誤りにとどまらず、現代の国際政治にも、平和と進歩をめざす諸国民人民の闘争にも深刻な否定的影響をおよぼす一連の重大な傾向を生みだしている」
 一連の重大な傾向とは「新思考」によって欧州の共産党が動揺したことをさします。
 東欧ではハンガリーで88年5月、32年間君臨してきたカダル書記長が事実上、解任されたほか、ポーランドでは同年5月、グダニスクのレーニン造船所で「連帯」がストに入るなど、民主化要求が高まりました。ゴルバチョフ書記長が「ブレジネフ・ドクトリン」を放棄するのではないかという期待感が東欧の人々に広がったのです。
「新思考」は東欧諸国に深刻な動揺をもたらしたのです。また西欧共産党でもソ連離れが顕著になってきます。とりわけイタリア共産党がそうで、同党は89年3月、党規約を大幅に改正し民主集中制を削除しました。民主集中制とは、レーニンの前衛党組織論にもとづく組織原則で、コミンテルン結成以来、各国共産党が採用してきた基本原則です。
 日本共産党はイタリア共産党の変身にも噛みつきます。「共産党の党名との両立の意味が問われるような改正」(『赤旗』同年4月1日)とイタリア共産党を批判します。共産党はイタリア共産党の規約改正について【1】「分派禁止」の明文規定がなくなった【2】少数意見を公然と流布する物質的手段の保障することまでが規定された【3】「党の内部問題を外部に公表しない」という規定もなくなった、と批判を展開したのです。
 こうして共産党はゴルバチョフ批判を一層強めます。それは東欧の民主化を支援するための批判ではなく、あくまでレーニン主義からの逸脱に対する批判にすぎません。
 立木洋・国際委員会責任者は『赤旗評論特集版』(89年9月18日号)の「東欧・バルト三国と社会主義」のなかで、次のように述べました。
「帝国主義の変質を信じ、各国人民の運動や闘争を無用なものだとする協調主義の路線、とりわけヨーロッパにおいて東西の違いがなくなり接近できるとして『欧州共通の家』を促進しようとする態度は、きわめて危険なものであるということはいうまでもありません」
 ところが、「新思考」は共産党の批判とは裏腹に東欧を共産主義の縄目から解放することになります。89年11月9日に「ベルリンの壁」がついに崩壊し、東欧諸国に民主化の一大激動が起こったのです。

手の平を返して東欧民主化評価
 すると共産党は「あそこで破綻したのは…『ソ連型社会主義』…政治でいえば一党制、経済でいえば上からの命令主義。…長い目でみれば社会主義本来の値打ちを発揮する民主主義のうねりです…全体として歓迎すべき動きが始まったとみています」(不破委員長のNHKテレビインタビュー『赤旗』同年11月23日)と強弁したのです。
 共産党が大反対した「新思考」が東欧圏を解放したことには口をつぐんだままです。共産党の理論が破綻したのです。