実録・日本共産党

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―その恐るべき素顔と歴史を探る―
思想新聞より

実録・日共産党


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戦後編41

スパイ防止法に驚愕
総動員で反対運動

 ソ連KGBが仕掛けた反核運動は一種の間接侵略といえます。
 間接侵略というのは、一般的には、ある国が自分の正規の兵力を使わないで相手国内の反乱勢力を助け、テロやゲリラ活動、破壊活動を支援して内乱を起こさせる、という侵略方式のことです。

反核運動がスパイ法で挫折
 ですから反核運動そのものは間接侵略とは言えませんが、間接侵略の土壌を形成していく心理戦の一翼を担っているといえます。心理戦とは神経戦、宣伝戦、思想線などとも呼ばれるもので、人の心理に働きかけて、我が方に有利な条件をつくりだすことを目的としてさまざまな手段を計画的に行使することをいいます。つまり侵略は心理戦→間接侵略→直接侵略という順で行われることが多いのです。
 反核運動はソ連の核優位をもたらすために西側諸国における米国の核撤去を求めているわけですから、まさにソ連によって仕掛けられた心理戦と断定できるでしょう。この心理戦を許すと間接侵略を招き、最終的には直接侵略を呼び起こしかねないのです。
 このようなソ連の意図を見抜いた保守系の有識者らが80年代初めから本格的に始めたのが、スパイ防止法制定運動です。各地の地方議会でスパイ防止法制定を求める請願・陳情が出され、80年代半ばには非核都市宣言を3倍も上回る1500以上の議会が採択されました。
 これを受けて自民党は
「国家機密に係わるスパイ行為等の防止に関する法律案」を85年6月に国会に緊急上程するに至りました。
 こうした情勢を受けて共産党は反核運動どころでなくなりました。同年5月30日、共産党中央委員会常任幹部会は、党中央に「国家機密法対策委員会」を設置し、金子書記局長を責任者に任命。6月1日には党中央委員会常任幹部会はスパイ防止法反対の「声明」を発表し、スパイ防止法反対運動を組織を挙げて取り組むことを決めたのです。
 共産党はフロント組織を総動員し、6月11日に「国家機密法阻止各界連絡会議」を結成しました。ここに名を連ねた団体は、安保破棄・諸要求貫徹中央委、憲法会議、自由法曹団、日本国民救援会、国公労連、マスコミ文化共闘、統一労組懇、日高教、日本医労連、全動労、出版労連、生協労連、全農協労連、日本原水協、日本平和委員会、全商連、婦団連、新日本婦人の会、全生連、全日本民医連、日患同盟、全借連、全解連、映演共闘、民青同盟、全学連、日本共産党を後援する全国学者・研究者の会などで、共産党系団体のオールスターです。
 さらに地方組織として200を越える地域に地区連絡会議を結成し、その規模は「60年安保につぐ状況」(川村俊夫・憲法会議事務局長)になります。共産党がスパイ防止法制定運動にいかに驚愕したかが知れます。
 共産党がスパイ防止法反対運動で最も力を入れたのはマスコミ工作で、その中心を担ったのはマスコミ共闘(マスコミ関連産業労働組合共闘会議)です。同共闘は1963年、当時の宮本書記長が新聞労連や民放労連の党員に働きかけて結成させたものです(同共闘はその後、マスコミ文化情報労組会議へと名称変更)。
 マスコミ共闘の中心組織である新聞労連(当時、4万3000人)は85年7月に開いた第35回定期大会で「国家機密法粉砕のための特別方式」を提起し、マスコミ界あげて反対運動をさせることを決め、まず新聞社の経営者に団体交渉(団交)してスパイ防止法に反対することを迫りました。

朝日、毎日など 共産党に同調
 その結果、朝日新聞、毎日新聞、共同通信などは新聞労連の主張に同調し、85年10月からこれまで使っていた「スパイ防止法」の名称を取りやめ、「国家機密法」に変更しました。また民放労連(テレビ各社の労組、当時、一万人)も経営者に反対を迫り、日本民間放送連盟は11月にスパイ防止法に反対する「見解」を発表するに至ります。
 こうして共産党はなりふり構わずスパイ防止法反対運動を展開したのです。