実録・日本共産党

文字サイズ

―その恐るべき素顔と歴史を探る―
思想新聞より

実録・日共産党

39

戦後編 27
党公認教科書が絶版に
改定でも追及かわせず

 共産党は国際勝共連合から思想戦を宣言され、共産主義批判を展開されると、表面上では無視する一方、裏では批判された点を覆い隠すために躍起となります。

『共産主義読本』密かに回収する

本連合との理論戦から逃げた共産党は、陰湿な言論妨害という手段に打って出た。
 1972(昭和47)年春、共産党は党中央委員会出版局発行の党公認教科書ともいうでき『共産主義読本』(1966年初版)を書店から回収し、同連合が論評を加えたところを大幅に削除もしくは改定して、密かに新版『読本』として書店に出しました。

 こうした共産党が隠した箇所こそ共産党の本質が露わになったところといえましょう。たとえば、こんな具合です。

 旧版では「職業選択の自由」や「小売店商店の社会化」との見出しの項がありましたが、新版ではこれらは見出しも中身も全面カットしました。旧版ではこんな記述となっていたからです。

 「もちろん、いやになったからといってやたらに職業をかわることはできませんが、これは当然のことです。正当な理由がないのに職場をかわりたがる人は、社会主義の見地からするとおくれた人ですが、社会はこのような人をほったらかしにせず、同志的な説得と教育をつうじて社会主義的に目ざめた勤労者に改造します」(旧版334頁)

 これでは「職業選択の不自由」でしょう。昨今のフリーターの若者のように「やたらに職業をかわる」人は「おくれた人」と断定され「社会主義的に目ざめた勤労者に改造」されてしまいます。中国では「改造」とは強制収容所での労働をさしましたが、共産党はどうするつもりだったのでしょうか。

 「だが、もちろん、小売商店主が消費者大衆のことをかんがえずに利潤追求に精出すのを、ゆるすことはできません。そんな商店主は処罰されましょう。また、現在の日本のように、むやみにおおくの商店がひしめきあって競争していても社会の利益にならないので、商店網を合理化し、それで浮いた人員は生産部面に転出してもらうことになるかもしれまん」(同334頁)

 共産党政権下では党が「社会の利益」にならないと決めれば、商店主は許されず罰せられたり、職業を配置換えさせられてしまいます。まさに自由と基本的人権が侵害されることを公然と言い放っているのです。

 また、共産党は次のような書き換えもしました。

 「社会主義的国有化と社会化」の項では、旧版の「資本家、地主階級から生産手段をうばいとって社会の所有にする」を新版では「生産手段を社会全体の所有に」としました。なるほど、「うばいとって」しまうことを「社会全体の所有」というわけです。

 旧版では「古い国家機構を破壊して、プロレタリアートの独裁に適した新しい国家機構をつくりだす」とあったのを新版では「機構を根本的に変革して、プロレタリア民主主義に適した」と替えました。「破壊」は「根本的に変革」、「独裁」は「プロレタリア民主主義」というわけです。いかに共産党が本質を変えずに言葉のテクニックを使って国民をごまかそうとしているかが知れます。

「財産」没収を公然と宣言する
 このほか旧版では「資本家の財産を没収して国有化することは、古い関係を破壊することです」との記述を、新版では全面削除しました。ここで注意したいのは、共産党は資本家階級の「生産手段を没収する」としないで資本家の「財産」を没収すると明記していたことです。『読本』は「中小資本家」のみならず「小商店主」「個人農」も「資本家の立場と共通」としていますので、これらの人々は資本家と同様に間違いなく「財産」が没収されてしまうことになるわけです。新版でこれらを削除したのは、「本音」を書いてしまったと考えたからでしょう。

 こうした密かな書き換えも勝共連合に暴露され、共産党はついに『共産主義読本』を絶版に追い込まれます。そればかりか国民の共産党政権への警戒を解くために装いを変えて「民主連合政権構想」を打ち出さざるを得なくなったのです。