実録・日本共産党

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―その恐るべき素顔と歴史を探る―
思想新聞より

実録・日共産党

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「宮本綱領」を採択
日本革命の展望示す

 1961(昭和36)年7月、日本共産党の第8回党大会が東京・世田ヶ谷の区民会館で開かれました。そこに集まった798名の代議員はすべてあらかじめ宮本派の事前審査を受け、それをパスしたものばかりです。
 懸案の日本共産党綱領(俗称・宮本綱領)は、紛争をきわめた七党大会とは全く異なり、万雷の拍手のうちに全員一致で採択されました。政治報告決議も同じく全員一致です。共産党は八党大会を次のように絶賛しています。
 「58年の第7回党大会以来、3年間、歴史的意義をもつ安保闘争をはじめ人民の諸闘争とその活動のなかですすめた党建設の画期的な成果をふまえて、新しい綱領が全員一致で採択された。綱領の確定によって日本共産党と日本人民は、どんなに複雑な情勢のもとでも、人民解放の道、日本革命の正確な進路をさししめす科学的社会主義の羅針盤をもつにいたった」(『日本共産党の60年』)
 ついに宮本顕治書記長は日本のスターリンとしての地位を獲得したのです。その論功行賞ともいうべく、八党大会では中央委員が前回の31人から一挙に60人、同候補は6人から35人に増員されました。いずれも宮本書記長に忠誠を誓った人物ばかり。それらの幹部に対して月給制を確立するなど、巧みに人心をつかんで自分の配下にし、確固たる「代々木新官僚群」をつくりだしていったのです。
 この党大会で採択した「日本共産党綱領」を現在の共産党も金科玉条のごとく戴いています。情勢に応じて若干の修正をしていますが、基本的にはかわっていません。だから、現在の共産党の路線も規定するものです。
 この宮本綱領を要約すると、こうなります。
 (一)共産党はこれまで、日本の支配体制の特殊性にもとづいて、ブルジョア民主主義革命を遂行し、これを社会主義革命に発展転化させて、社会主義日本の建設に進むという方針のもとに戦ってきたたが、この方針は基本的に正しかった。
 (二)第二次世界大戦における連合国の勝利は、日本帝国主義に重大な打撃を与え、ポツダム宣言は天皇の支配のもとに苦しんでいた日本人民の立上がる道を開いた。しかし、アメリカ帝国主義者はその「民主的」措置を彼等の対日支配に必要な範囲にのみとどめて民主主義革命を流産させようとし、世界支配の野望を実現するためにポツダム宣言を踏みにじり、日本を軍事基地とし、日本人民の解放闘争を弾圧しつつ、独占資本を目下の同盟者として復活する政策を追求し、日本独占資本もまた、日本人民に対する搾取を維持するためにこの方向に従った。その結果、わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義になかば占領された事実上の従属国となっている。
 (三)以上の全体からでてくる展望として、現在、日本の当面する革命は、アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配・・二つの敵に反対する新しい民主主義革命、人民の民主主義革命である。
 (四)日本共産党は、独立、民主主義、平和、中立、生活向上のためにたたかう中で、労働組合、農民組合など人民各階層の大衆的組織を確立・拡大・強化し、民族民主統一戦線をつくりあげる。この戦線が発展し、反民族的・反人民的勢力を敗北せしめるなら、この統一戦線政府は革命の政府となり、労働者・農民を中心とする人民の民主連合独裁の性格に変わる。この権力は、独占資本の政治的経済的支配の復活を阻止し、君主制を廃止し、人民共和国として、名実ともに国会を国の最高機関とする人民の民主主義国家体制を確立する。
 (五)一切の搾取と貧しさからの解放を保証するものは、プロレタリアート独裁の確立、生産手段の社会化、社会主義的な計画経済である。ゆえに党は、勤労人民に対しては、その利益を尊重しつつ納得を通じて彼等を社会主義社会へ、ついで共産主義に導くように努力する。
 まさに二段階革命論です。そのゴールは天皇制廃止、プロレタリアート独裁、つまり共産党独裁政権にほかなりません。