実録・日本共産党

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―その恐るべき素顔と歴史を探る―
思想新聞より

実録・日共産党

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政策編・9

「共産教育」の砦づくり
民主教育の狙いは革命に


 わが国の教育行政のスタートは、明治初期からです。その目的は欧米諸国に対抗し得る独立した近代的な国家を築き上げるというところにありました。
 明治初期は、西洋列強諸国に対抗するため「プラグマティズムと功利主義の『洋才』重視路線による富国政策教育」をとり、満州事変後は「超国家主義による強兵政策教育」に転じました。敗戦後はGHQ(連合国総司令部)によって戦前の教育が軍国主義教育として全面否定され、再び経済一辺倒の「富国路線」に戻ったといえます(元通産事務次官の故・天谷直弘氏の指摘)。

功利主義と個人主義教育に陥る
 戦後教育は知識の詰め込みを大規模に組織的に効率的に行うために、工業生産における規格化に類似した手法が教育に採り入れられ、知識の効率的詰め込みのために、学校施設という教育空間構造、就学と進級という教育時間構造が全国的に統一されました。こうして戦後教育は経済大国の形成に一定の成果を上げたといえます。
 その一方で、GHQの左翼勢力が「精神的武装解除」(バーンズ米国務長官)を目指して教育基本法制定を強要しました。同法制定によって、戦後教育は子供たちから精神的支柱を抜き取り、道徳心や宗教心を奪い、エゴイスティックな個人主義に染められていくようになりました。
 こうした功利主義教育と唯物的な個人主義偏重教育の相乗効果によって戦後教育は徳育から手を引いてしまい、いじめや学校崩壊、少年非行の激増などを招く教育荒廃を呈してきたのです。
 そこで教育改革を目指して80年代の中曽根内閣時に臨教審答申が出されました。同答申は徳育、知育、体育の調和の中で真・善・美を求める心を育成し、物質的繁栄や便利さの代償としての自主性の乏しい精神的・肉体的ひよわさを克服し、さらに郷土・地域、国を愛する心を高め、日本人が国際社会において真に信頼される「国際人」に育てることが提唱されたのです。
 しかし、この提唱も教育基本法に切り込まなかったために十分に生かされず、今日に至り教育荒廃を一層深める結果となりました。そこで昨今、抜本的な教育改革の必要性が叫ばれ、教育基本法の改正が焦眉の急になってきたというわけです。
 では、共産党の教育政策はどうでしょうか。共産党は「学校教育の民主的改革」を唱え「受験中心の詰め込み教育、競争教育、ふるいわけ教育から子供たちを解放し、一人ひとりの子供の成長と発達を中心においた教育への改革をはかる」(第22回党大会の志位報告)と、美辞麗句を並べた教育改革を主張しています。
 学力低下については「自民党政府・文部省が長年続けてきた、競争主義、管理主義の強化という教育政策がつくりだした危機」とし、「すべての子供がわかるまで教える教育への改革が必要」と、ここでも耳障りのよい主張を繰り返します。
 しかし、共産党の主張を採り入れれば、日本の教育はもっと悲惨なものになるでしょう。行き過ぎた詰め込みや競争は是正されるべきですが、それを全面否定し子供たちを「解放」すれば、今以上の学力低下を招くのは必至だからです。
 「民主的教育」とはいったい何でしょうか。それは国の教育権を否定し、学校をして「共産教育の砦」にしようとするものにほかなりません。

愛国心教育を阻止する真意
 共産党の本性は教育基本法問題で明白といえます。共産党は教育基本法改正案が「国を愛する心」を教育理念に加えようとしていることに猛反対し、「国を愛する心」を教育基本法に位置付ければ「日の丸」「君が代」の押し付けなど、国民の思想・信条の自由への侵害が広がることは必至だ、と強弁するのです。「国を愛する心」をどうしても否定したいのです。
 それは共産党が唯物論教育を子供たちに押しつけ革命家を育てるために現行の教育基本法が必要だからです。共産党の教育政策の本音は実にここにあります。