実録・日本共産党

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―その恐るべき素顔と歴史を探る―
思想新聞より

実録・日共産党

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戦後編・57

統一地方選で惨敗
議席・率大きく減らす

 今年4月、統一地方選挙が行われましたが、共産党は前回(1999年)に比べて獲得議席数・得票率とも惨敗でした。5年前の共産党躍進ブームをピークに党勢が下がっていることは歴然としています。
 まず統一地方選前半戦は4月13日、東京、神奈川など10都道県知事選と札幌市長選、44道府県議選、12政令市議選の投・開票が行われました。このうち知事選では共産党は完敗でした。すべての選挙で敗北したのです。とりわけ注目されたのは、首都決戦である東京都知事選です。共産党はこれまで無所属の革新候補を擁立してきましたが、今回は珍しく党公認候補として共産党都委員会の若林義春委員長を出馬させたのです。
 これは共産党にとって大きな変化です。都知事選といえば70年代の故・美濃部亮吉知事の「革新都政」で代表されるように、共産党は幅広い革新票の結集をめざし無所属候補を擁立してきました。これが共産党のいう「革新統一戦線」だったはずです。
 しかし今や共産党の孤立化は著しいものがあります。それに石原人気です。最初から負ける選挙に手をあげる学者文化人などいなかったのです。それに共産党には「共産党」で闘えるとの自惚れがありました。不破議長はこう豪語しました。
 「無党派の候補者を擁立しての都知事選というのは、はっきりいって、東京におけるわが党や民主陣営の選挙のなかで『得票の谷』だったのです。(公認候補擁立の)新しい取り組みのなかで、『得票の谷』を『得票の峰』に転化させる」(3月1日、都知事選決起集会)
 たしかに共産党は最近の国政選挙では都下で多いときには80万票以上を得票しているのに、前回の都知事選では「革新都政をつくる会」の三上満氏は66万余票にすぎず「得票の谷」になっていました。
 しかし、若林候補は36万4千票という惨憺たる得票に終わりました。前代未聞の低得票といえます。「得票の峰」どころか「得票の谷」を更新したのです。石原氏が300万票を越えたのとは余りにも対照的でした。
 道府県議選も惨敗です。共産党は前回の99年には152議席(得票率10.5%)を獲得しました。これは前々回に比べて54議席増、3.7%増で、全国で427万票を得ていました。しかし今回は107議席(8.6%)。45議席減で得票も320万で100万票も減らしました。議席ゼロの空白克服をめざした石川、島根、熊本の3県では議席を確保しましたが、愛知では3議席減の空白、栃木、三重、鳥取、佐賀、宮崎も新たに議席ゼロです。
 また11政令都市では104議席(12.5%)。前回の120議席から大きく後退しました。今回の議席数には新たに政令都市となった、さいたま市の分(8議席)が入っていますので、これを除くと実に24議席減(96議席)です。得票率も15.6%から12.5%へと約3%も減らしました。都市部での減少は顕著です。
 一方、保守との「共同」方式で知事選で成果をあげてきた長野では前回比2議席増の7議席、徳島では議席を倍増させ4議席になりました。
 さらに4月27日に投票が行われた地方選後半戦では、共産党は一般市議選で940議席、東京区議選で130議席、町村議選で943議席、合計で2013議席を獲得しました。これは市議選で90議席減、区議選で16議席減、町村議選で3議席減で総計、109議席減です。

依然、地方議会で第一党を保つ
この結果、前半戦と後半戦で合わせて2227議席を獲得し、非改選の議席を合わせて4209議席となりました。99年時には4413議席でしたから、約200議席減らしています。
 共産党の党勢は99年をピークに減少していることは間違いないでしょう。当時に比べて機関紙の「赤旗」は日刊紙で85%、日曜版で84%という落ち込みです。学生青年層の入党も激減しています。しかし、共産党は引き続き地方議会第一党にかわりがありません。依然として党勢は高水準を維持していると見ておかねばなりません。