実録・日本共産党

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―その恐るべき素顔と歴史を探る―
思想新聞より

実録・日共産党

戦前編【12】
戦前の共産党に一利なし 日本国民を裏切る

 これまで10回にわたって戦前の日本共産党の歴史を振り返ってきました。今回はその総括をしておきましょう。
 日本共産党は、現行綱領のなかで戦前の同党の行動について次のように自賛しています。
「党は、きびしい試練にたびたび直面したが、まず民主主義革命をという正しい方針をつらぬき、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配とたたかい、天皇制をたおし、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかってきた…天皇制権力の野蛮な弾圧のなかで、党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、すくなからぬ日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗をまもってたたかった」
 何とも恥さらしな自賛としか言いようがないでしょう。
 第一に、戦前の共産党員のどこに自主性、主体性があったでしょうか。
 そもそも共産党の創立資金と基本綱領(路線)はすべてコミンテルンから下げ渡されたものです。コミンテルンとはすでに何度も書きましたように、レーニンが世界革命のために作った国際共産党のことですが、国際とは名ばかりで実質的にはソ連共産党です。
 つまり、日本共産党はソ連の資金によって「国際共産党(コミンテルン)日本支部」を名乗って設立されたのです。日本共産党はモスクワ産なのです。
 むろん、設立以前には自発的に人道主義的な立場から社会主義運動を行った人々は存在します。片山潜や高野房太郎、安部磯雄、木下尚江らのクリスチャンがそうで、彼らはキリスト教的な社会主義思想を動機に社会主義運動を展開したといえます。
 しかし、1917(大正6)年にロシア革命が起こり、さらに19(大正8)年にコミンテルンが作られて以降、ソ連共産党とその意思を代弁したコミンテルンによって日本の社会主義者の思考と行動が規制されることになります。22(大正12)年に創立された日本共産党は、まさにその規制を体現した存在であり、そこに日本人としての主体性を見いだすことはとうていできません。
 第二に、戦前の共産党は日本国民に対し何か為になる行いをしたことがあったでしょうか。何ら国民の為になる行いがなかったということです。
 共産党は創設当初「ブハーリン綱領」に基づいて「天皇制廃止」を主張することによって、大正デモクラシー下の普通選挙の導入と労働組合承認という絶好の民主主義的環境を自ら破壊しました。このことによって、日本の軍国主義化に手を貸したと指摘する歴史学者もいるぐらいです。
 また戦争が激化した30年代には戦争に反対するどころか、その戦争を「内乱化」することを狙って武装闘争を繰り広げました。
 第三には、為になる行いどころか、数々の犯罪を日本国民の前に重ねてきたということです。
 30年代の共産党は、コミンテルン製「32年テーゼ」を戴き、銀行ギャングをはじめとする犯罪行為を繰り広げ、ついには日本国民を殺害する事件まで起こしました。宮本顕治名誉議長が治安維持法違反のみならず、傷害致死、監禁致死、死体遺棄、不法監禁、銃砲火薬類取締法違反などで有罪の確定判決を受けていることからも明らかなように共産党の犯罪は単に思想犯だけではありません。
 第四には、現在の共産党は「戦争に反対した唯一の党」と自賛していますが、共産党が戦争に反対した事実などまったくありません。
 共産党は35(昭和10)年3月に逃亡していた最後の共産党中央幹部である袴田里見と、関西地方委員の岩本厳らが検挙され『赤旗』も187号をもって停刊。あとは散発的な事件があるのみで、組織としての共産党は完全に壊滅しました。
つまり、壊滅していた共産党が戦争に反対できるわけがありません。
 このように、戦前の共産党に百害は見いだせても、一利を発見することは至難のことです。一利もない、といったほうが正解でしょう。この事実を、日本国民はしっかりと認識しましょう。

◎写真=宮本顕治が収監された当時の網走刑務所
(『写真で見る日本共産党60年史』より)