実録・日本共産党

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―その恐るべき素顔と歴史を探る―
思想新聞より

実録・日共産党

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戦後編44

労働界から廃除される
全労連で連合に対抗

 1986年の衆参ダブル選では日本共産党の中曽根内閣批判はまったく通用しませんでした。それは80年代の世界の潮流であった「小さな政府」論に対する共産党の敗北を意味しています。折しもソ連をはじめとする共産陣営はサッチャー、レーガンの新自由主義路線に対抗できずに衰退していったように、共産党も中曽根臨調路線に敗北したのです。
 イギリスの場合、サッチャー政権が成立した70年代末に国有企業が約50社・200万人存在し、その生産額は実にGNPの10分の1を占め、財政赤字はざっと1兆円にのぼっていました。国有企業がイギリス経済の足を引っ張り、70年代のオイルショック以来の不景気を克服することができずにいました。
 この改革に着手し国有企業の民営化をはかろうとしたのがサッチャー革命でした。サッチャー政権は民営化に当たって国有企業株の民間放出をしましたが、その際、同企業の労働者に優先的に株を保有させ大量の大衆株主を生みだしました。その数は実に1千万人。その結果、株を持った労働者は着実に保守化していきました。80年代に民営化が採用された国は先進国だけでなく途上国も含めて100カ国以上にのぼりました。まさに80年代は新自由主義の時代だったのです。
 これに対して中曽根臨調路線は国有企業株の民間売却に重点が置かれたわけではありません。赤字企業の民営化が主な狙いでした。
 具体的には日本電信電話公社と日本専売公社を85(昭和60)年4月に民営化し、日本電信電話株式会社(NTT)と日本たばこ産業株式会社(JT)にしました。また国鉄は87(昭和62)年4月に旅客6社、貨物1社からなるJRに分割民営化されました。労働者は株を手にしたわけでありませんが、民営化によって確実に保守化していったのです。
 それがダブル選での自民圧勝の背景といえるでしょう。
 こうした民営化の波は労働界を大きく揺さぶっていきます。87年11月20日、民間労組62組織、550万人が結集した全民労連(略称・連合)が日本最大のナショナルセンターとして発足しました。これに伴って同盟と中立労連が解散、従来の労働四団体時代が終わりました。
 ちなみに残りの新産別は88年に解散して連合に入り、総評も89年に解散し連合と新たに日本労働組合総連合会(新「連合」)を結成し、今日の連合時代がスタートすることになります。
 こうした労働界の新たな動きを共産党は「労働戦線の右翼的再編」として危機感をつのらせます。そこで共産党系労組が労働運動から排除、孤立化することを防ぎ、革新統一戦線を維持しようと躍起となります。
 こうして共産党は87年7月、共産党系労組でつくる統一戦線促進労組懇談会(統一労組懇)の年次総会を開き、総評が労働に加わることを見越して「階級的ナショナルセンター確立の展望と骨格」と題する構想をまとめました。
 同構想は連合および総評の右翼的再編に対抗して新たな階級的ナショナルセンター確立をめざし次の五点を重要政策として打ち出しました。すなわち・国民春闘の再構築・産業空洞化政策と首切り合理化反対・国家機密法反対・安保破棄・軍事基地の撤去・核戦争阻止・核兵器の緊急廃絶―です。いずれも共産党のイデオロギー支配が鮮明な構想といえます。

階級的ナショナルセンター・全労連
 こうして労働界から共産党は排除されていきます。そこで統一労組懇は全国各地で集会を開催し、「右翼的再編」に反対するオルグ活動を強化しました。各企業や官公庁で共産党系の組合専従が徘徊することになります。彼らの狙いは総評内左派系単産や中立労連系、単産組合です。
 こうして89年に連合が結成されると、これに対抗するため統一労組懇はただちに階級的ナショナルセンターを立ち上げます。それが全国労働組合総連合(全労連)です。