勝共思想・勝共理論

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45,人間疎外論の克服・3 無神・唯物論が間違いの根源

人間疎外論の克服・3
[キーポイント]マルクス主義は唯物論の立場から人間疎外の本質をとらえ、またその解決策も唯物論に依拠したことで、20世紀をして「悲劇の革命の世紀」にしてしまいました。皮肉にも、資本家が人間性を顧みず労働者をモノのように扱ったように、共産党も人々をモノのように扱い、恐るべき独裁社会をもたらしたのです。マルクス主義が人間疎外を解放したとしてもたらした社会は、人間の理想である自由と平和と繁栄を実現するものでは決してありませんでした。かえって自由を踏みにじり、平和を破壊し、経済的な病弊のみを生じせしめる社会すなわち人間疎外を一層深めさせたのです。その最大の原因が唯物論にあったことを、マルクス主義者は自覚すべきでしょう。

 無神・唯物論が間違いの根源
■その批判と克服
 マルクスは当時の資本主義社会における苦痛と不安、貧困と悲惨、犯罪と混乱から人々(労働者)を救い、彼らの人間性(人間の類的本質)をいかに解放(回復)するかという問題を抱えて、その思想路程を出発しました。このこと自体は是と認めなければならないでしょう。
 こうした問題はマルクスだけが抱えていた問題では決してありません。古今東西、多くの宗教家、哲学者、思想家たちが扱っていた問題でもありました。ですから、マルクスが出発した地点は、多くの精神的指導者が出発した地点と同一なものであった、ということができます。
 しかし、同一なる地点から、多くの宗教家、哲学者たちは各々異なった方向に向かって、異なった道を歩んでいったのです。それで社会的混乱と苦痛からの人間性の回復(人間の救済)という同一なる問題を解決するために、労働生産物の奪還を目標として歩みだしたマルクスの道もその中のひとつだったのです。それが無神論的・唯物論的方向でした。マルクス以外の多くの思想家の中には、有神論的方向を取ったものもあり、人道主義の道を歩んだものもあり、実存主義の道を歩んだものもありました。
 たとえば宗教指導者の中では、孔子は天道に従って人間疎外の解決の道を追求して儒教を立てました。釈迦は如来と慈悲の理想による解脱の道に到達して仏教を立てたのであり、イエスは神のみ言と愛による道を説いてキリスト教を立てたのであり、マホメットはアラーのみ言による愛の道理を説いてイスラム教を立てたのです。本連合の創設者の文鮮明先生も、同じく人間疎外の問題を解決するために、神の真理と愛をもって統一原理と統一思想を樹立されたのです。
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 マルクスの提起した人間解放の思想は、宗教的に表現すれば、罪からの人間救済でした。しかし彼はすでに紹介しましたように人間疎外の本質の把握を誤ったために、資本主義社会の非人間化をあれほど厳しく弾劾したにもかかわらず、彼の理論によっては人間性を回復することができず、彼が非難した資本主義社会と同様に、否、それよりも一層ひどく人間性が蹂躙される社会を出現させてしまったのです。
 ロシアの哲学者ベルジャーエフは次のように述べています。
 「マルクス、特に初期マルクスにおいて、なおドイツ観念論の痕跡を保っていた時代には、新しいヒューマニズムの可能性があった。彼は非人間化に対する反抗から出発したが、後には彼自身が非人間化過程におぼれ、かくて人間に対する態度において共産主義は資本主義の罪を受け継いだのである」(『ロシア共産主義の歴史と意味』)
 こうした矛盾についてマルクスの後継者たちの中には真剣に悩んだ人が少なからずいます。たとえばソ連共産党のイデオローグだったヤコブレフ氏(元政治局員・宣伝部長)はソ連の共産社会について次のように自問しています。
 「どうして、社会正義と自由の思想がこれほど粗暴に、非人間的に、シニカルに踏みにじられたのか。どうして、農民階級の破壊が、人民そのものに対する血塗られた弾圧が、社会的に受けいれられたのか。どうして、エコロジーに対する蛮行が、気を失わせるほどの物質的精神的象徴の破壊が、社会的に容認されたのか。どうして、党国家統治者の特別なカーストの形成や、闘争・暴力・不寛容の国家宗教の普及が、社会的に受けいれられたのか。将来のよりよい生活に対して人間が永遠に抱く希望の破廉恥にも寄生することが、どうして社会的に容認されたのか」(『マルクス主義の崩壊』サイマル出版会)
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 このように自問するヤコブレフ氏は、その原因を「唯物論」と断じ、次のように言い切っています。
 「実践的で形而上学的な唯物論の理念は、大衆心理をとらえるのに特に都合がよい。それというのも、唯物論は、もっとも単純で誰にも分かる哲学だからである。それは、モノに対する信仰であり、唯一の本質的現実としての物体、物質的恵みに対する信仰である。
 唯物論は、必然的にフェティシズム(物神崇拝)に通じる。唯物論は、精神的選択の問題を取り除き、そのことによって個人の責任、罪、悔恨の問題を取り除いてくれる。唯物論は、人間の精神を骨抜きにし、イデオロギーの操るままにさせる。唯物論の観点からいえば、人間は、機能的な現象であり、自然の一部、物質大系が機能するためのひとつの手段にすぎない。
 したがって、唯物論は、権威主義と理念的に結びつき、自由というものを社会や人間の自然な状態とは認めず、選択の自由や、思想、良心、言論の自由を拒否し、こういったものはどれも、物質的存在の不可避不易の諸法則に従うものだと見ている」(同)
 結局、悲惨な共産主義社会をもたらした最大の原因は唯物論にあったとヤコブレフ氏は指摘するのです。「科学的社会主義」の創始者たちは、社会統合の全体のメカニズムを無視しました。彼らは理解していなかったが、人間の行動の動機は、矛盾に満ちた多様なものであり、経済的な関心と並んで、良心、同調、慈悲の心が働くものだ、とヤコブレフ氏は言うのです。
 つまり、人間疎外を解放しようとした出発の地点はすばらしかったのに、無神論・唯物論という方向に向かっていくことによって、マルクスは根本的に間違った解決法を提示し、その結果、かえって疎外を深め「血塗られた社会」を作ってしまったのです。
 マルクスが今日、生きてヤコブレフ氏が指摘した共産主義社会の実態を見れば、彼は自身の人間疎外論が間違いであったことを悟ることでしょう。そして、必ずや新しい解決の方策を模索するに違いありません。とするなら、今日のマルクス主義者たちも、マルクスの人間疎外論が間違っていたことを悟り、喪失した人間性を真に回復する道がどこにあるかを、新たに尋ね求めるべきでしょう。
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 しかし、遺憾なことに今なおマルクスの人間疎外論に固執し、無神論・唯物論的な方向によって人間疎外が解放されるとする人々が少なからず存在します。
 たとえば日本共産党はソ連が崩壊した理由を「日本共産党綱領案」(改正案)の中で次のように強弁しています。
 「ソ連とそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国で1989~91年に起こった支配体制の崩壊は、社会主義の失敗ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産であった。これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標が掲げられたが、指導部が誤った道を進んだ結果、社会の実態としては、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会として、その解体を迎えた」
 ここではヤコブレフ氏のようにマルクス主義の根幹すなわち唯物論には全く触れず、指導部が誤ったから人間抑圧がもたらされたとするだけです。つまり、「レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ」というのです。
 こういう認識では日本共産党もまた「誤った道」を歩むことは必定でしょう。なぜならソ連共産党の「指導部」が覇権主義・専制主義の道を進むことになった原因について、共産党はまったく追求しようとしていないからです。それらはあくまでも結果であって、原因ではありません。言うまでもなくその原因はヤコブレフ氏が指摘するように唯物論にあったのであり、人間疎外の解放をめざす方向性そのものが間違っていたのです。このことをなおざりにして「誤った道」を正すことは決してできないでしょう。
 またマルクス主義者の中には、「レーニン=スターリン体制」批判を試み、そうした国家体制としての共産主義が間違っていたのであり、思想としてのマルクス主義は間違っていないとする人々が少なからず存在します。その流れはユーロ・コミュニズムから始まり、フェミニズムやジェンダーフリーなど、さまざまな化粧を加えて生き残っています。たしかに、これらの新マルクス主義はマルクスが主張したような「労働生産物からの疎外」は言いませんが、いずれも無神論・唯物論を基調としていることに変わりはありません。唯物論であるかぎり人間疎外からの真の解放はあり得ないことに気づいていないのです。
 無神論・唯物論から解き放たれてこそ、真の人間性回復があります。次回は統一思想の人間疎外論を紹介します。