勝共思想・勝共理論

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26,マルクス経済学・1 経済学から見た「マル経」の位相

マルクス経済学・1
経済学から見た「マル経」の位相
[ポイント]今回からマルクス経済学に入ります。マルクス経済学などと言えば、現在の経済学では古典の部類に入ります。これをもとに計画経済でもって国家運営をはかった旧ソ連などの共産国は破綻して崩壊しました。残った共産国も中国のように市場経済を受け入れており、もはや世界経済の中でマルクス経済学の居場所はないといっても過言ではないでしょう。しかし、日本では「マル経」が経済学講座の主流を占める大学が少なからず存在します。マルクス経済学は現実の経済学としては機能しなくても経済思想として現代社会に根をおろし繁殖すらしているのです。その意味でマルクス経済学批判は今日的課題として残されているといえます。今回は現代の経済学の流れを押さえておきます。

■現在経済学の現況
 現在、低迷する日本経済をどうするか、百花繚乱の経済学論争が戦わされています。竹中金融・経済相の手法が成功するか、それとも無惨な失敗に終わるか、今年も激しい論争が繰り広げられることでしょう。
 こうした論争でも明らかなように、経済学は第1に行き詰まった古い社会と経済を変え、新しい社会を創ろうとするリーダーシップ性が秘められています。そして第2にその経済学が正しいかどうかは現実(その過去としての歴史)が判定するということです。たとえば小泉―竹中改革には構造改革を通じて新生日本を築こうとする意欲があります。それが正しいか否かは現実が判定することになるでしょう。
 マルクス経済学にもこの二つが当てはまります。社会を変革しようとする意欲的経済学であることは誰もが認めるところでしょう。そしてそれが間違っていたことも現実が厳しい審判を下しました。その間違いについて本稿で詳しく探っていくことになります。
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 さて、近代経済学の祖はアダム・スミス(英・1723~90年)です。彼はそれ以前の欧州で支配的だった重商主義(金・銀が富の源泉)を批判して、富の源泉を「労働」(労働価値説)に置き、また自由貿易を主張しました。それらをリカード(英・1772~1823年)が継承して古典学派を完成させました。古典学派は18世紀末から19世紀末までのイギリスで発展した経済学であり、産業革命を経て先進資本主義へとイギリスを導いたがゆえに主流的な経済学となったわけです。
 これを基礎に近代経済学へと発展していくことになります。近代経済学というのは1870年代にそれまで主流だった労働価値説に対して限界効用理論から批判して新たな体系を提示したもので、これが革命的だったので「限界革命」とも呼ばれます。これが新古典学派です。
 その中心人物がマーシャル(英・1842~1924年)で彼の経済学を継承した弟子らがケンブリッジ学派と呼ばれ、その代表がケインズ(英・1882~1946年)です。またメンガー(オーストリア・1840~1921年)はワルラス(仏・1834~1919年)とほぼ同時期に効用理論を提示し、オーストリア学派と呼ばれることになり、後にハイエク(オーストリア・1899~1992年)やシュンペーター(オーストリア・1883~1950年)などが登場します(注=シュンペーターについては図では成長理論に位置付けている)。
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 こうした流れに批判的に登場したのがリスト(1789~1846年)を祖とするドイツ歴史学派で、国や歴史によって経済制度が異なるところに単一の普遍的理論を適用するのは不可能とする考えです。その流れを汲むのがアメリカ制度学派(ガルブレイス=1908年~=ら)で、スミスに始まるレッセフェール(自由放任)思想を批判し、世界恐慌後のニューディール政策を支持する「大きな政府」論に立ちます。
 もう一つの批判の流れが社会主義にほかなりません。資本主義がもたらす労働者の過酷な生活に同情し、サン・シモン(仏・1760~1825年)やオーエン(英・1771~1658年)らが空想的社会主義を唱えますが、これは経済学にまで至らなかったといえます。
 これに対してマルクス(独・1818~83年)は唯物史観の立場から社会主義経済学を体系化づけました。それがどのように成立したかは後に紹介しますが、古典派の労働価値説を継承し、資本主義崩壊必然論を軸に革命理論として形成し、その理論をレーニンやスターリン、毛沢東らが現実化して共産国を作りました。その結果が悲惨なものになったことは周知のとおりです。
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 たしかに資本主義は自由放任によって貧富の格差を招き、また「見えざる手」に導かれることなく、1930年代の世界恐慌の時代に陥ります。しかし、新古典学派もその解決策を模索し、とりわけケインズは公共投資による完全雇用をめざす総需要政策を提唱し、資本主義の歪みを是正することに一定の成果をあげ、恐慌下の資本主義を救いました。そこで「ケインズ革命」と呼ばれます。
 1970年代まで資本主義国の主流を占めたのがケインズ理論です。つまり、市場メカニズムに政府による社会民主主義的な修正を加えて「ケインズ型福祉国家」が登場したのです。保守主義者もそろって「ケインジアン・アバランチ」(ケインズ主義への雪崩現象)を起こし、68年の米大統領選ではニクソン共和党候補をして「我々はいま、すべてケインズ主義者だ」と言わしめました。
 しかし73年のオイルショックによってケインズ的手法(公共投資と福祉拡充)は莫大な財政危機をもたらすことになり、「大きな政府」が破綻しました。そこで登場したのがケインズ学派を痛烈に批判するハイエクを信奉するイギリスのサッチャーと、マネタリズムの影響を受けるアメリカのレーガンです。彼らは「小さな政府」を標榜し、新保守革命を唱えます。こうして80年代はサッチャー革命とレーガノミクスが主流を占め、資本主義国は一連の改革を通じてオイルショックを克服していきました。
 マネタリズムは反ケインズ経済学です。マネーサプライ(通貨供給量)が経済を動かす最大の要因と考え、通貨調整を通じて景気浮揚をはかろうとする学説です。シカゴ大学のフリードマンが中心となって提唱されたのでシカゴ学派と呼ばれます。
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 しかしマネタリズムも万能薬ではありませんでした。アメリカでは87年のブラックマンデーで株暴落を招いてアメリカ経済が行き詰まりました。日本はレーガノミクスで貿易と財政の「双子の赤字」を抱えた米国経済を救うために、プラザ合意(85年)によって円高ドル安を受け入れ、それによってバブル経済を招き、それを止めるために90年に金融政策を採用。以来、10年以上も続く平成大不況から今も抜け出せずにいます。
 こういう経済を分析するのに経済を数学的手法で分析する数理経済学も発展してきました。レオンチェフ(米・1906~99年)の計量経済学やゲーム理論などがそれです。とはいえ経済が人間が動かしている以上、数学的に割り切れないことも事実で、分析には役だっても新たな社会へと導く決定打にはなっていないのが現状です。
 こうして人類は真の世界平和をめざし、新たな経済理論を模索し続けています。マルクス経済学が今後も救世主になることはあり得ないでしょう。しかし、貧富の格差が広がり矛盾が満ちあふれるようになると、ラジカルな革命理論として蘇る可能性は常にあります。その意味でもマルクス経済学の間違いをしっかりと押さえておきたいものです。