勝共思想・勝共理論

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28,マルクス経済学・3 労働者を革命へ誘う「労働価値説」

マルクス経済学・3
労働者を革命へ誘う「労働価値説」
[ポイント]マルクスは経済学を樹立するに当たって、まず商品の分析から始めました。それは資本主義の富の基本形態が商品であると考えたからで、『資本論』では最初に商品について執筆しています。ここでまず第一に立てたのが「労働価値説」です。それは商品の価値はその商品の生産に投下された労働(の量)によって決まるというものです。労働だけが価値を生みだすという定理を立てることによって、資本家は価値を生みださず労働者が作り出した価値を搾取しているとの論に発展させ、革命を合理化しようとしたのです。

■その主張
 マルクスは、商品には「使用価値」と「交換価値」の二つの価値があるといいます。
 「使用価値」は人間の何らかの欲望を満たすことのできる性質、つまり有用性のことで、これが「使用価値」です。洋服には服を着る、パンには食べるといった欲望を満たす性質を持っており、それが洋服やパンの「使用価値」というわけです。しかし商品にはこれだけでなく、もう一つ価値があります。それが「交換価値」で、他の商品と交換するときにこれが現れます。マルクスは「交換価値」こそ本質的なものととらえ、これをただ単に「価値」と呼びました。
 このような商品のもつ二重性は労働の二重性に起因します。労働の二重性とは商品の使用価値を生みだす具体的労働(有用労働)と、「人間の脳や筋肉や神経や手などの生産的支出」という意味での抽象的人間労働の二つを指します。具体的労働というのは、稲を植える(稲作労働)、糸を紡ぐ(紡績労働)、木を切る労働といった、それぞれ特定の使用価値を生みだすための具体的な労働をいい、これに対して抽象的人間労働とは、頭を使う、筋肉を使う、神経を使うといった、どんな種類の労働にも共通する労働一般のことをいいます。
 そして具体的労働が商品の使用価値を生産するのに対して、抽象的人間労働が「価値」(交換価値)を形成するというのです。
 マルクスは商品には使用価値と価値(交換価値)があるが、使用価値は質的な違いを表すものだから量的には比較できないとし、これに対して交換価値は量的な違いを表すものであり、したがって商品は価値としては「一分子の使用価値も含んでいない」とするのです。つまりマルクスは商品の価値の本質は抽象的人間労働であり、商品の価値の大きさは、その商品を生産するために費やされた労働の量によって決まるとしたのです。
 では、労働の量とは何をもって計れるのでしょうか。マルクスは「それに含まれている『価値を形成する実体』の量、すなわち労働の量によってである。労働の量そのものは、労働の継続時間で計られ、労働時間はまた一時間とか一日とかというような一定の時間部分を度量標準としている」(『資本論』)といいます。
 以上を要約しますと、商品には使用価値と価値(交換価値)があるが、そのうち交換(売買)において問題になるのは、価値(交換価値)であり、価値は労働量によって、そして労働量は労働時間によって決定されるということになります。
 マルクスは結論として、こう述べています。
 「価値としては、すべての商品はただ一定の大きさの凝固した労働時間でしかない」(同)
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 ただし労働時間といっても熟練した人と未熟あるいは怠慢な人では商品を生産する労働時間は変わってくるでしょう。未熟な人は時間が掛かるはずで、では労働時間が長いからといって価値が大きいのかというとそうではないでしょう。
 そこでマルクスは商品の価値は各個々人の労働(個別的労働)によって形成されるのではなく、「平均的に必要な、または社会的に必要な労働時間」によって決定されるとし、次のように定義付けました。
 「社会的に必要な労働時間とは、現存の社会的に正常な生産条件と、労働の熟練および強度の社会的平均度とをもって、なんらかの使用価値を生産するために必要な労働時間である」(同)
 これを計算式にしますと次のようになります。
 「ある商品を生産するのに要した総労働時間」÷「その商品の総生産量」=社会的必要労働時間
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 とはいっても、現実の商品の価格(つまり交換価値の表示)はそれを生産するために必要とされた平均的な労働時間に正比例しません。たとえば同じ労働時間が使われてもラジオとテレビでは価格が違ってくるからです。
 この問題点を克服するためにマルクスは「単純労働」と「複雑労働」という概念をつくりだしました。ラジオの労働は単純だが、テレビの労働は複雑だ、だから複雑労働を単純労働に換算すれば労働時間は長くなるのだ、というわけです。マルクスは「複雑労働は、強いられたあるいはむしろ複合された単純労働にすぎないものとなるのであって、したがって、複雑労働のより小なる量は、単純労働のより大なる量に等しくなる。この整約が絶えず行われているということを、経験が示している」とし、「それぞれ異なった種類の労働が、その尺度単位としての単純労働に整約される種々の割合は、生産者の背後に行われる一つの社会的過程によって確定され、したがって、生産者にとっては、慣習によって与えられているように思われる」(同)と規定したのです。
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 単純労働と複雑労働という概念を作り出すことによってマルクスは、商品の価値(交換価値)はその商品の生産に費やされた労働量によって形成されるとの結論に強引にもっていったのです。
 そして、その商品の価値は交換において、すなわち他の商品との比較を通じて現れるといいます。
 かつて商品は物々交換でしたが、社会的分業の発展とともに毛皮や鉄などよく使用される商品が一般的等位物の地位にのし上がり、すべての商品の交換に奉仕する特殊な商品になりました。その後、貨幣が登場するようになると、「商品―貨幣―商品」という形式の商品流通に変わり、商品は貨幣の一定量と交換されるようになり、このことによって貨幣が商品の価値の尺度となったといいます。
 したがってマルクスは価格とは、「貨幣であらわした交換価値」という結論を下したのです。
 こうした考え方は一般に「投下労働価値説」と呼ばれます。もとはアダム・スミスが唱え、リカードがこれを継承したものですが、これを踏まえてマルクスは独自の労働価値説を作り出したのです。
 ただし、スミスとリカードの場合は、金・銀が富の源泉とする重商主義に対抗して提示され、モノの生産が低かった初期資本主義時代には一定の意味をもったといえます。しかしマルクスの場合は、生産者それも一部の労働者のみを富の源泉とする偏狭な価値説として提示し、これをもって資本家を打倒しようとする革命合理化、正当化論としているのです。ですから、私たちはとくにマルクスの「労働価値説」を問題にするのです。
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 以上、マルクスの労働価値説を紹介しました。次回に詳しく批判し、その代案を提示します。

■資料

▼マルクスの労働価値説の一節
 「上衣と亜麻布とは、ただ価値そのものであるだけでなく、一定の大いさの価値である。そしてわれわれの想定によれば、一着の上衣は亜麻布の二倍だけの大いさの価値である。どこから、それらの価値の大いさの相違が生じるのか? それは亜麻布がただ上衣の半分だけの労働を含んでいること、したがって上衣の生産には、労働力が亜麻布の生産にくらべて 2倍の時間、支出されなければならぬということから来るのである」(『資本論』第一巻第一章 商品より)

■批判のポイント

●商品の中には労働量が入っていると思えないものがいくらでもある
 自然物のダイヤモンドや石炭、石油、魚類などがそうである。人間はそれらを採掘あるいは捕獲したのであり、鉱夫や漁夫の労働は生産過程の補助部分にすぎず、潜在的にあった商品としての価値を補充する役割をしただけである。

●新たに労働を加えず保管するだけで価値が大きくなる商品がある
 記念切手、骨董品、ウイスキー、美術品などは労働価値説で説明できない。

●まったく労働量では測ることができない商品がある
 アイディアとか情報、知識、音楽の演奏会や講演会のチケットなども同様である。

●ロバート・オーエンの「労働交換銀行」の失敗
 商品の交換を純粋に労働量=労働時間とし、労働時間を表示する労働貨幣(時間券)を媒介とする銀行を設けたが、銀行には開業後まもなく有用性の高い商品がなくなり、無用物や流行遅れの商品ばかりが残り、ついに1年半で銀行は閉鎖された。労働価値説の誤謬の実例とされる。

●ベーム・バヴェルクの「社会的必要労働時間」批判
 優秀な生産条件の下で作られた商品の場合、一個当たりに要した労働時間は短くとも価値は高く、悪い生産条件の下で作られた商品の場合、いくら労働時間が長くても価値は低いというのが一般的事実。マルクスの社会的必要労働時間は平均概念の濫用にすぎない、とオーストリア学派のベーム・バヴェルクは批判している。