勝共思想・勝共理論

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22,唯物史観・8   倫理破壊する「階級家族論」

唯物史観・8
倫理破壊する「階級家族論」
[キーポイント]
 唯物史観で見逃せないのは、家族論です。唯物史観は家族を階級支配の手段として登場したとする「階級家族論」を展開します。それによると、歴史にあらわれた最初の階級対立が家族だといいいます。つまり、生産力の発展によって分業が生じ、私有財産が生まれるようになると、男性がその私有財産を自らの子孫に相続させるために女性を支配する道具として一夫一婦制の家族が登場したというのです。こうした家族観は家族を封建的な存在と規定し、家族を破壊することが進歩的とする見解に立ちます。「性解放論」や極端な「男女共同参画論」はこの考え方から生まれています。

■資料■
●共産主義家族論に基づくライヒの
フリーセックス『エロス文明論』
 「ライヒによれば、結婚するまでは純潔でなければならないという考え方はブルジョアが発明したものだ。これは男性にたいしては要求されず、もっぱら女性に強制されるが、それは、資本主義社会において遺産相続の掟がきわめて重要な意味を持っているからだ。…厳格な性道徳は、セックスは悪いものだという印象を与え、性的神経症や倒錯を生む。ライフによれば、解決策は性を健康的で楽しいものとみなし、強制的な性道徳を拒絶することだ」(コリン・ウィルソン『性と文化の革命家』)

■その主張
 家族についてエンゲルスは次のようにいいます。
 「歴史にあらわれる最初の階級対立は一夫一婦制における男女の敵対の発展と一致し、また最初の階級抑圧は男性による女性の抑圧と一致する」(『家族、私有財産および国家の起源』)
 つまり、最初の階級対立は一夫一婦制から始まったというのです。そしてその一夫一婦制の家族は男女の敵対の場であり、男性による女性の抑圧の場でもあるといっているのです。このように唯物史観が主張する家族には家族愛や親子の絆、あるいは人格形成の場としての家族といった家族観は皆無で、ひたすら階級闘争の場として家族をとらえています。
 前掲のエンゲルスの著作はマルクスが死んだ翌年の1884年に出版されており、エンゲルスによると階級家族論はマルクスの遺言だといいます。それほど共産主義思想にとって階級家族論は重要な思想的核心を占めているのです。



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 さて、階級家族論の内容は、アメリカの民俗学者ルイス・ヘンリー・モルガン(1818~81年)の研究成果をまとめたものだとエンゲルスはいいます。
 モルガンはアメリカ・インディアンのイロコイ族の生活をもとに進化論に基づく独特の家族観を提示した人物です。人類は最初の乱婚(群婚・集団婚)の状態から15の形態を経て文明社会の一夫一婦制へと進化したというのがそれです(モルガン『古代社会』)。マルクスはこの進化論的家族観を絶賛しました。
 エンゲルスは乱婚から単婚に移行した理由を次のように解説します。
 「(ギリシャが)古代のもっとも文明的な、最高の発達をとげた民族についてたどりうるかぎりでの、単婚の起源である。単婚は、けっして個人的性愛の果実ではなく、それとは絶対に無関係であった。なぜなら、婚姻はいまも打算婚だったからである。それは、自然的条件にではなく経済的条件にもとづく、すなわち原始の原生的な共同所有にたいする私的所有の勝利にもとづく、最初の家族形態であった。家庭内で男が支配すること、また自分の子以外ではありえず、自分の富の相続人となるはずの子をうませることーこれだけがギリシャ人があからさまに表明した一夫一婦制の全目的である」
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 唯物論にもとづき結婚もその動機をあくまでも経済に置きます。そして「婚姻はいまも打算婚」と述べているように、経済的理由にのみ結婚を意義づけます。ここに共産主義の家族観の特徴がよく現れています。
 一夫一妻制の家族は私的所有が生じたから、つまり階級制が生まれたから登場したのであり、家族こそ「最初の階級闘争の場」というのです。さらに、私的所有のなかった原始社会では乱婚状態(群婚・集団婚、いわゆるフリーセックス)であったが、私有がうまれると「自分の富の相続人となるはずの自分の子をうませること」のために単婚(一夫一婦制)が登場したとします。夫が妻を(他の男と性交させないために)家庭の中に押し込め支配するシステムが一夫一婦制である、とエンゲルスは断じるのです。
 そして「(乱婚時代の)昔の相対的な性交の自由は一夫一婦制の勝利でさえも、決して消滅せず」、そこで「一夫一婦制と並んで存在する男と独身の女性との婚姻外の性交」として娼妾制や、妻の側のさかんな姦通が登場する、娼妾制や姦通は「単婚の永遠の伴侶」というのです。そしてエンゲルスはこういいます。
 「妻が普通の娼婦とちがう点は、賃金労働者として自分の肉体を一回いくらで賃貸するのではなくて、それを終身の奴隷制に売りわたしてしまうことだけである」
 ここでは「性交の自由は決して消滅せず」と、フリーセックスを人間の本性とします。そして原始共産制(無国家)→ 階級社会(国家)→ 共産社会(国家死滅)との歴史発展を適用して、乱婚→ 一夫一婦制→ 一夫一婦制の死滅(一種の乱婚)へと発展していくとしたのです。エンゲルスは原始共産社会の「乱婚」を憧憬するかのように、一夫一婦制の死滅、フリーセックスを人類の到達点として描いたのです。
 こうした人間観の流れの中で、後にフロイト(1856~1939年)は「愛」を「性的な交合を目標とする性愛」にしかすぎないとし、ライヒ(1897~1957年)はそれをさらに展開して「性器的人間」を提唱、マルクーゼ(1898~1979年)は自由なエロスによる「エロス的文明論」を説くことになります。今日、共産主義家族観は「性解放論」へと引き継がれ、学校教育にも浸透しています。

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 では、共産主義社会の家族とはどのようなものでしょうか。エンゲルスによれば、プロレタリアは私的所有のない階級なので財産の保有のために妻を支配しておく必然性がなかったといいます。男の経済的優越がないので夫の妻への優越もなくなり、そこから男女平等な家庭が生まれ、支配・被支配の関係から解放されて完全な自由になるというのです。
 ここでは「男女平等な家庭」は男(夫)の経済的優越性がなくなることによって生まれるとしています。これが、女(妻)に労働を奨める一部の「男女参画社会」論者の根拠となっている理論です。妻が働いて夫の経済的優越性をなくさないかぎり、男女平等な家庭になり得ないというわけです。
 いまどきプロレタリアといえども私的所有のない人はいないと思いますが、はたして私有財産がなくなれば、そして男性の経済的優越がなくなれば、男女平等な家庭が生まれるのでしょうか。旧ソ連では女性を全て労働者として職場へと駆りたてましたが、ソ連の家庭がすべて男女平等な家庭になったかというと、そんなことはありません。モノや金銭だけでは男女平等な家庭は生まれないのです。
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 またエンゲルスは共産主義社会の夫婦関係について次のようにいいます。
 「(夫婦における)個人的性愛の発作の持続期間は、個々人によって非常に相違する。とくに男のばあいはそうである。そして、愛着がまったくなくなるか、あるいは新しい情熱的な恋愛によって駆逐されたばあいには、離婚は当事者の双方にとっても社会にとっても善行である」
 ここでも男女を性愛の関係のみでとらえます。そして個人的性愛の「発作の持続期間」が個々人によって相違があるから、愛着がなくなれば、さっさと離婚したほうが善だというのです。恋愛の変転、離婚の繰り返しを当然視する共産主義は、まさに「乱婚」社会、フリーセックス社会をめざしているといえるでしょう。これなら社会全体が娼妾、姦通状態になるのですから、取り立てて娼妾や姦通を問題視することもないかも知れません。
 こうして「原始社会」の乱婚状態にアウフヘーベン(止揚)されるというのが共産主義家族論です。まさに倫理・道徳破壊の家族論です。

■批判
●否定された進化家族論 
 モーガンの進化論的家族論によると、家族を群婚(集団婚または乱婚、雑交とも呼ばれる)から始まったとする。しかしこの結婚の図式は史実ではない。原始共産社会が歴史的に存在しないように、群婚といった結婚形態も存在したという証拠はまったくない。モーガンはアメリカ・インディアンの研究から群婚説を唱えたが、その後の調査ではこの種の群婚は確かめられていない。平凡社『哲学事典』は集団婚(群婚)について次のように述べている。「モーガンをはじめとする初期の学者は、集団婚を人類が進化の途上で必然的に経過すべき時期として考えたが、例外的でなく制度的にこの形態をとっている種族が現実にはほとんどないために、しだいにかかる考え方は捨てられつつある」

●ウェスターマークの家族論
 モーガンの原始群婚説に真っ向から異を唱えたのは、フィンランド生まれのイギリスの人類・社会学者エドワード・ウェスターマーク(1862~1939年)である。彼は世界各地の結婚の形態を調査・研究し豊富な資料をもとに『人類婚姻史』(1891年)を著した。彼によれば、人類の婚姻史は原始の時代から一夫一婦制度を基調として展開されており、その根拠は生物学的要因による。モーガンが唱えたよう「原始乱婚説」はまったく根拠がないとしている。このモーガン批判は、進化論的家族論への批判として大きな反響を呼び、現在ではモーガン論は歴史的事実ではないとして学界から葬り去られている。