30,マルクス経済学・5 「効果価値説」が正しい
マルクス経済学・5
「効果価値説」が正しい
[ポイント]私たちは労働価値説の代案として「効果価値説」を提案します。マルクスは商品の価値の本質を「労働」におきましたが、効果価値説は「喜び」におきます。人と人が互いに喜び合おうとする授受作用によって商品の価値が決定されるのです。労働価値説は労働者をして革命に駆り立てようとする動機をもっていました。これに対して効用価値説は21世紀の人類社会に真の幸福をもたらそうとする価値説です。
■ 労働価値説に対する代案
マルクスの労働価値説とはどのようなものだったでしょうか。それは、いかなるものも単に使用価値があるというだけでは商品たりえず、その使用価値をつくり出すにあたって、そこに何らかの労働が投入されている場合のみ、そのものが商品たりえるというものです。そして、その労働量(社会的労働時間)が商品の交換価値を決定するというのが、労働価値説です。
さらにマルクスは「価値であることなしに使用価値である」ものの例として「空気、処女地、自然の草地、野生の立木」などをあげています。これらは商品にはなり得ないというのです。
しかし、こうした主張にうなずくわけにはいきません。たとえば処女地といえども、それが誰かによって排他的に占有され、その所有権を国家が認めたとすると、処女地はいつでも商品として売り出される可能性があります。また空気といえども、大気圏外にまで人間が飛び出し、空気が容易に入手できないという状況になれば、莫大な価格の商品になることでしょう。現に登山で酸素が商品となっている例があります。
こう考えると、商品となり得るための最低の必須条件がはっきりしてきます。つまり、以下の四つの条件です。
【1】そのものに使用価値があること
【2】そのものが特定の人間、もしくは集団によって排他的に所有されていること
【3】そのものの所有者が、なんらの他のものとの交換に、それを譲渡する意志をもっていること
【4】そのものを購買することの必要性を感じさせるほどに、そのものの量や数が希少であること
商品となるためには、そこに労働が加わっているか否かは直接には何の関わりもないことなのです。商品になるための必要条件として「労働」を持ち出すのは、きわめて偏った見方といわざるを得ません。単に使用価値があり、その使用価値の生産のために労働が費やされても、必ずしもそれが市場で商品として通用するとは限らないからです。
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では、どういうときに商品として通用するのでしょうか。
それはその「商品」にはっきりとした使用価値があるというだけでなく、その使用価値を手に入れたいという欲望(需要)が喚起され、しかも、その欲望充足のために提示された代償(貨幣)を支払ってもよいと買い手に思わせなければ商品になりません。
消費者にとってまず問題なのは、その「商品」自体の客観的な使用価値そのものだけでなく、それが自己の必要、欲望をどれだけ満たしてくれるかということです。これを「効用効果」と呼びます。
一方、生産者にとっては、「商品」に買い手がつきさえすれば、どんな価格でも売るというものでもありません。その「商品」の生産に要した費用を最低限として、それ以上なるべく高く売りたいと思うはずです。その欲望が満足される範囲内でだけ、「商品」は売却されます。つまり、「商品」は生産者(販売者)の側にも何らかの収益性をもたらす可能性がある場合にだけ、商品となるのです。このようにして得られる生産者の側の満足のことを「収益効果」と呼びます。
「商品」が商品として流通し続けるためには、マルクスのいう「使用価値と価値」があるというだけではだめなのです。「効用効果と収益効果」が共に保証されていなければ、商品たりえないということです。
効用効果をもたらす商品の性質を「効用性」、収益効果をもたらす商品の性質を「収益性」といいます。したがって「商品」は、効用性と収益性の二つの性質を備えることによって初めて商品となるといえるのです。この二つの性質をもたなければ売買されないからです。
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もう少し詳しく見てみましょう。
生産者は収益に対する欲望をもち、消費者は商品の効用に対する欲望をもっています。商品の使用価値(有用性と呼びます)が両者のこのような欲望を満たし、それぞれに一定の満足(喜び)を与えるのです。商品の有用性が生産者に与える満足の程度(満足量)を「収益効果量」といい、消費者に与える満足の程度(満足量)を「効用効果量」といいます。満足とは有用性を根拠にして生じた心理的効果ですから、満足量は心理的効果量もしくは単に効果量と表現することができるでしょう。
このように収益効果量と効用効果量に基づいて、生産者と消費者は商品を一定の金額で売買するのです。結局、交換価値の本質はマルクスのいう労働量ではなく、心理的な満足量または効果量なのです。つまり喜び、感動の量なのです。
生産者の収益効果量も消費者の効用効果量も、ともに主観的な心理的効果量ですが、これを売買(交換)するに際しては、交換価値として客観的に決定しなければなりません。それはどのようにして決定されるのでしょうか。
図を見て下さい。ある商品を生産者(または販売者)と消費者が売買するとしましょう。生産者と消費者はまず商品の使用価値(有用性)に基づいて、それぞれ収益性と効用性に対する効果(満足量)を予想します。次にその予想効果量(満足量)を貨幣で表示し、比較することになります。
おのおのの貨幣額(金額)が一致しないときはお互いの効果量(満足量)の表示を調節することによって、両者を一致させることになり、このように一致した金額がすなわち価格となるわけです。この価格によって表示されている予想効果量が、交換価値なのです。
市場では価格の調節は両者が直接対峙して調節するというよりも、高いものは売れず、結局、値下げして売る。あるいは逆に消費者がどうしても欲しいものなら、高くても買うことになり、生産者はさらに高い価格を設定したりする、という具合に市場で調節されることが多いのです。
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以上をまとめると次のようになります。
商品の価値は生産者(販売者)と商品、消費者と商品、および生産者と消費者の相対的関係(授受作用)において決定されること、価値決定の目標は生産者と
消費者が互いに喜び合う(満足し合う)ことにあり、交換価値の大きさは喜びの量すなわち満足量(効用および収益の効果量)であり、それを貨幣の表示で一致させれば価格(交換価値)になる。
これを「効果価値説」といいます。私たちは労働価値説の代案として効果価値説を提示します。