勝共思想・勝共理論

文字サイズ

42,マルクス経済学・17 幻想に終わった共産主義社会

人間疎外論の克服・1
[キーポイント]マルクスの人間疎外論については本シリーズの最初で紹介しました。疎外からの解放をテーマにマルクスは思想を発展させていき、弁証法的唯物論、唯物史観、そして資本論へと共産主義思想を体系化しました。その意味でマルクス主義は疎外論の延長線上に成り立っているといえます。では、これまで見てきたマルクスの思想によって私たちは疎外から解放され、真の人間を取り戻したといえるでしょうか。答えはノーです。ソ連をはじめとする共産主義国の人々は資本主義国よりも著しい疎外感の中に陥れられ、悲惨な人生を余儀なくされたことは万人が知るところです。なぜ疎外からの解放を掲げて逆に疎外を深める結果を招いたのでしょうか。今回からはこれまでの共産主義批判を踏まえて疎外論の克服を行います。



 疎外論の延長にある『資本論』
■マルクス疎外論
 マルクスの思想形成の概要は図のようになります。その出発点はヘーゲルであったことはすでに紹介したところです。
 ヘーゲルは国家を通じて法の理念が実現するとき、人間は必然的に利己的な人間から理性的な人間になると考えましたが、実際は、ヘーゲルが理性国家であると期待したプロシアにおいて、官僚政治は腐敗し、人間は理性的人間にはなりませんでした。
 またフォイエルバッハは神を否定することによって対照化された人間の類的本質を人間自身の手に取り戻すことが、人間性回復の道であると主張しましたが、そのようなフォイエルバッハの主張に従ってみても、人間生活の現実は何ら変革されませんでした。
 そこでマルクスはヘーゲルやフォイエルバッハに対する批判の上で、労働者が労働生産物を奪われていることによって、その人間性が疎外されたと考えました。すなわち「労働者からの労働生産物の疎外」が人間疎外の本質であると考えたのです。したがって人間を解放するためには、私有財産・資本家の私的所有となった労働生産物・を廃止しなければならないと主張するに至ったのです。
     ▼
 ここで初期マルクスの人間疎外論とその後に展開される共産主義理論、特に『資本論』との関係性について調べて見ることにしましょう。
 すでに本シリーズで紹介しましたように、初期マルクスの人間疎外論が『ドイツ・イデオロギー』を境にして姿を消していきました。そこで今日、共産主義者あるいは共産主義研究者の間でも、初期マルクスの人間疎外論が『資本論』の中では克服されていると見て、疎外論を無視しようとする立場と、『資本論』はまさに疎外論から出発して結実したものであると見て、それを重視する二つの立場があります。
 しかし、次のような点において『資本論』は初期マルクスの人間疎外論を土台として、その延長線上に展開されたことは疑いの余地はないところです。
 第一に、唯物史観の批判で論じましたように、マルクスはヘーゲルの「理性的国家の実現」=「自由の実現」に影響されて、自由の実現を目標として、ヘーゲルの観念弁証法を逆転させた唯物弁証法でもってその理論を展開したということです。
 唯物論の立場をとったマルクスは、歴史観においても、また経済学においても当然ながら、客観的事実を土台として結論を導くような帰納法的論理を進めなければなりませんでした。そして実際、マルクスのすべての論理の展開は帰納的、客観的であるかのような印象を与えています。しかし、これまで見たように綿密にマルクスの理論を分析してみますと、そこにはあらかじめ演繹的に定められた目標と方向性が潜んでいたことがわかりました。
 第二に、資本主義社会における人間の疎外は、労働生産物の疎外であるとした初期の疎外論の立場からマルクスは後退したのではなくて、人間疎外論を経済的な問題に置き換えながら、さらにその説明を次のように押し広げていきました。
 『資本論』において、マルクスは資本と資本家について、資本とは「自分を増殖する価値」であり、「胸に恋でも抱いているかのように『働き』はじめる活気づけられた怪物」であり、「吸血鬼のようにただ生きている労働の吸収によってのみ活気づき、そしてそれを吸収すればするほどますます活気づく、死んだ労働」であったとし、資本家とは「人格化された資本」あるいは「資本の担い手」としました。
 このような表現からも明らかなように、労働者から労働生産物を奪い、人間性を奪った悪の元凶は、結局、「資本」であり「資本家」であるというのが、『資本論』におけるマルクスの主張であったことが分かります。
     ▼
 それではいったい、資本とな何でしょうか。資本とは、マルクスによれば、資本家の私的所有となっていて、労働者を搾取する手段となっている生産手段であり、資本は物ではなくて、生産過程における人と人との社会関係なのです。したがって資本というとき、それは資本主義的生産関係あるいは資本主義制度をも意味していました。それゆえ労働者から労働生産物を奪った元凶は「資本主義」という経済制度でもあったのです。
 マルクスによれば、このような資本は「本源的蓄積」から作られ、それは原罪と同じです。アダムがリンゴをかじって、そこで人類の上に罪が落ちたとする神学上の原罪の伝説は、どうして人間が額に汗して食うように定められたかを語っていますが、経済学上の原罪の物語はどんなに労働しても大衆の貧窮はなくならず、資本家の富が引き続き増大してゆくことを物語るとマルクスはいいます(『資本論』)。
 「本源的蓄積」とは、資本主義的生産様式の出発点となった資本の蓄積のことですが、その代表的な過程が農民を強制的に共同地から追いたてた十五世紀末から十八世紀末にかけての、イギリスにおける土地の「囲い込み」(エンクロージャー)でした。それは暴力的な「民衆の大群からの土地や生活手段や労働用具の収奪」と、それによる民衆の賃金労働者への転化であったのであり、マルクスはそれを「資本は、頭から爪先まで毛穴から血と汚物をしたたらせながら生まれてくる」と表現しました。
 結局、マルクスによれば、「労働者からの労働生産物の疎外」を生じせしめたのは、「資本」あるいは「資本家」、「資本主義」であったのであり、さらにさかのぼれば、「資本の本源的蓄積」であったのです。原罪としての「資本の本源的蓄積」は、マルクスの人間疎外論の最始源とでもいうべきものです。
 このようにして『資本論』は、マルクスの疎外論の延長線上にあるものだということが、はっきり結論づけられるでしょう。それゆえ『資本論』とは、いわば経済学的装いをした疎外論であるともいうことができます。結局、『資本論』とは、疎外論ですでに告発した資本主義の罪状をいっそう具体的に暴くために、より多くの罪目を羅列した(実はねつ造した)理論にほかなりません。
 しかもその羅列は、あらかじめ定めた目標(私有財産制の廃止、暴力革命による資本主義の打倒)を合理化する方向に演繹的に仕組まれたものだったのです。
 そうして革命は成就できましたが、その理論が間違っていたが故に人々は疎外から解放されることはけっしてなかったのです。
 マルクス疎外論がまちがっていたから解放されなかったのです。それは?@人間疎外の本質の把握がまちがっていた?A人間疎外の基盤とされた資本主義社会の把握がまちがっていた?B人間疎外問題を解決する方法論がまちがっていた・の三点で根本的にまちがっていたからです。次回からその間違いの中身を紹介します。
 

◎マルクス疎外論とその実践
 (ソ連など)の乖離
?@マルクスは、共産主義社会では「共同的富のあらゆる泉がいっそう豊かに湧き出る」と約束した。しかし実際は、資本主義諸国と比べて、共産主義社会は極度の経済的停滞を呈した。 
?Aマルクスは「真の自由の国」が実現すると約束した。しかし実際には、共産主義社会の人々は自由を奪われ、人権を無惨にも踏みにじられた。
?Bマルクスは、資本主義社会における労働は自発的なものではなく、「強制労働」であると非難し、エンゲルスは、共産主義社会では「重荷であった労働が快楽になる」と約束した。しかし実際は、共産主義社会における労働は資本主義においてよりもいっそう義務的で苦痛に満ちたものとなっており、「強制労働」とは共産主義の別名と見なされようになった。
?Cマルクスは労働生産物は「各人にはその必要に応じて」という原則の下で分配されると約束した。しかし現実には、権力に応じて、また地位に応じて、分配がなされるようになってしまった。