勝共思想・勝共理論

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12,唯物弁証法・5  相対物の授受作用の法則を提示する

唯物弁証法・5
相対物の授受作用の法則を提示する
[キーポイント]これまで二回にわたって、共産主義のいう「対立物」がいかに間違った概念であるかを見てきました。自然界の相対物を何でもかんでもむりやりに「対立物」と捉えて、その闘争によって発展するという考え方は、共産主義革命を正当化するための何ものでもありません。今回は「対立物の統一と闘争の法則」の代案を提示します。

■その批判と代案■

 対立物の闘争によって事物は発展する、だから闘争(社会革命)によらなければ社会は発展しない──と、共産主義者はいいます。これに対して私たちは統一思想にもとづく批判と代案すなわち勝共理論を提示してそれを正します。
 では統一思想は唯物弁証法に対してどのような代案を提示するのでしょうか。結論的にいいますと、唯物弁証法の「対立物の統一と闘争の法則」に対して統一思想は「相対物の授受作用の法則」、「矛盾の法則」に対しては「調和の法則」を提示します。
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 「相対物の授受作用の法則」と「調和の法則」は表現が違いますが、同じことをいっています。それを紹介しましょう。
 唯物弁証法でいう「対立物」という間違った概念に対して、統一思想はそれは「相対物」だといいます。すべての事物はその中に主体と対象の相対的要素(これが相対物です)があります。唯物弁証法は闘争によって発展するとしましたが、統一思想は相対物が共通目的を中心に授受作用することで変化し発展すると見ます。そのとき、主体が意志または生命をもって対象と授受作用すれば前進運動すなわち発展運動が現れます。
 このように事物を「対立物」でなく「相対物」ととらえるところが統一思想のポイントです。
 たとえば自動車のアクセルとブレーキを考えてみましょう。これを唯物弁証法は「対立物」とするでしょう。たしかにアクセルは車を前進させ、ブレーキは車を止めますから、力の方向でいえば一見、対立しているように見られます。
 しかし、運転手にとっては矛盾も対立もしておらず、車をコントロールするための、なくてはならない二つの機能です。もし、一方が他方を打倒してしまい、たとえばアクセルだけなら車は止まらず運転手は大変な事故に遭うでしょう。ブレーキだけなら車は動きません。アクセルを踏みながらブレーキを踏めばそれこそ矛盾・対立ですが、心配ご無用、二つの機能が同時に働かせることがないように、アクセルを踏むか、ブレーキを踏むか、右足一本で交互に動かしながら運転します。
 つまりアクセルとブレーキは一見、矛盾する正反対の機能を有していますが、人が車を運転するという目的を中心にみると両者はそれぞれが必要な相対物として存在していることがわかります。存在物には必ず目的があり、目的を中心に考えれば二つの要素はお互いを必要とする相対物ととらえるほうが自然でしょう。
 この必要とすること、そして互いに関係を結ぶことを統一思想は授受作用というのです。原子は陽子と電子や原子核と粒子、分子は原子と原子あるいは陽イオンと陰イオン、植物は呼気と吸気や導管と師管あるいはオシベとメシベ、動物は呼気と吸気や同化と異化さらにはオスとメス、人間は呼気と吸気や動脈と静脈そして心と体さらには男と女といった具合に相対物から成り立っており、その授受作用によって存在・生存しているのです。
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 では、事物は対立物の闘争によって発展するのか、それとも相対物の授受作用によって発展するのかを自然界で検討してみることにしましょう。
 これまで再三述べましたように、対立物の闘争という考え方は事物の中にある二つの要素の利害が相反し、あるいは利害が一致しない場合に起こる現象(闘争)です。これに対し二つの要素の利害が一致し、目的が共通である場合には闘争は起こらず、調和ある発展がなされるので、相対物の授受作用が行われていると捉えることができます。
 これを卵で見てみましょう。卵は殻や胚子、黄身・白身などから成り立っています。中身で見ますと胚子と黄身・白身ということになりますが、はたして両者は利害が相反する存在(対立物)でしょうか。
 胚子は受精した幼生のことで、ひよこになるために黄身と白身から養分を吸収して成長していきます。つまり胚子は黄身と白身を必要としており、黄身と白身は胚子の成長のために蓄えてきた養分を提供しているわけです。これがもし、胚子が黄身と白身からの養分の摂取を拒否し、あるいは黄身と白身が養分の提供を拒否するという具合に互いに相手を排除し合うならば対立物といえますが、両者は決してそういう関係にはありません。
 胚子と黄身・白身はひよこになるという共通目的をもった相対物であって、両者の調和ある授受作用によってついにひよこが現れるのです。このように事物の中にあるのは対立物でなく相対物であり、この相対物の授受作用によって事物は発展するというのが正しい見方でしょう。
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 共産主義者は卵の殻と卵の中のひよこ(胚子)も対立していると見ます。殻は殻のままでいようとし、これに対してひよこはこれを打ち破らねばひよこになれない、現状を固定しようとする輩(殻)を闘争によって打倒(つついて割る)しなければ発展(ひよこの誕生)はないというのです。これを社会に適用して現状のままでよいとする資本主義階級を労働者階級は闘争・革命によって打倒しない限り、社会は進歩した社会主義社会へと移行できない、だから革命は歴史の必然だと強弁するのです。
 いったい誰が卵の殻にこのままでいたいと頑なになっていると聞いたのでしょうか。殻は中のひよこが成長して外に出ても生存できるまで、ひよこを守っているのです。受精から約三週間経つと殻はひよこが外に出やすいように薄くなっていきます。すると、ひよこは光を感じて外に出る時期を悟り、そして薄くなった殻を難なく破って出てくるのです。これが仮に殻がより一層固くなり、ひよこを外に出さないようにし、これに対してひよこが絶対に出るぞと殻に闘争を挑んでつつきまくればそれこそ対立闘争といわねばなりませんが、卵ではそんなことはないのです。
 卵の生存とひよこの誕生という共通目的を中心にそれぞれの要素がうまく授受作用をしているから立派なにわとりが誕生するのです。これが「相対物の授受作用の法則」です。ここには矛盾はありませんから「調和の法則」となります。
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 このような卵の孵化現象について唯物弁証法は図にあるように「卵は正で胚子は反で、この正と反の矛盾(闘争)によって合であるひよこになる」といった理解の仕方をします。正反合と呼ばれる考え方です。彼らは形式論理学の矛盾の法則(「Aは非Aでない」という法則)に反対して「AはAであると同時に非Aである」という矛盾の法則を提示するからです。つまり「卵は卵と非卵(胚子)との闘争によってひよこになる」と主張するのです。
 でも何だか変ですね。これは論理的に明らかに間違っています。なぜなら、はじめにいう卵は胚子をも含んだ卵全体をいっておきながら、後の卵は全体から胚子を除外した黄身と白身、殻をもって卵としているのですから、卵の概念が前後で相違しています。用語にトリックを仕掛けて矛盾の法則を実証しようとしているわけですが、種が明かされればペテンは簡単にばれてしまいます。
 統一思想は正分合で卵の孵化現象を説明します。まず目的(にわとりになる=遺伝子に組み込まれている)が正としてあり、この目的を中心に卵は存在します。具体的には、ひよこになる主体としての胚子とそれを助ける対象としての卵黄や白身、殻の相対物(つまりこれが分)として成り立っており、この相対間で授受作用がうまく働けば(環境や養分が胚子の成長を助ければ)、その結果としてひよこが生まれるので、これが合となります。ですから正分合です。
 以上、唯物弁証法の矛盾の法則を批判し代案として統一思想の一部を紹介しました。

■資料
▼日本共産党の唯物弁証法に対する認識
 「(旧来の唯物論の)最大の弱点は、第一に、当時の自然科学の発展水準にも制約されて、弁証法的発展の見地を貫けなかったこと、第二に、自然を唯物論の立場で説明することはできたが、人間社会の諸現象を唯物論の立場で説明することができなかっとこと、にありました…(マルクスは)この二つの限界をのりこえ、哲学的唯物論の新しい発展の道をきりひらいたいのです…レーニンは、この見地から、マルクスにおける哲学的唯物論の発展の成果として、まず、『弁証法』をあげています」(「レーニン『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』に寄せて」(不破哲三=日本共産党中央委員会出版局)

■代案
・相対物の授受作用の法則
 統一思想はすべての事物はその中にある主体と対象の相対的要素(相対物という)が、共通目的を中心として授受作用することで変化し発展するとみる。そのとき、主体が意志または生命をもって対象と授受作用すれば、その結果、前進運動すなわち発展運動が現れる。発展とは授受作用による新しい質の出現、または新生対の出現を意味している。無機物の場合は生命がないから機械的運動(反復運動)となる。
・調和の法則(相応の法則)
 すべての事物は共通目的を中心とした相対物の調和ある授受作用によってのみ発展する。対立物の闘争は破壊と破滅を生じるのみである。