勝共思想・勝共理論

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40,マルクス経済学・15 架空の社会主義「過渡期論」

マルクス経済学・15
[ポイント]これまでマルクスの『資本論』の主な内容を紹介し、その間違いを指摘してきました。すなわち労働価値説と剰余価値説および資本主義経済法則の三つを軸に見てきたわけですが、そのいずれもが資本主義社会の分析です。では、マルクスは革命によって資本主義を打倒した後にはどのような経済社会が実現されると考えていたのでしょうか。すでに唯物史観の「社会諸形態」で紹介したように、資本主義社会の次に到来するのは社会主義社会で、これを未来の「自由の王国」である共産主義社会が実現されるまでの過渡期と位置づけました。社会主義社会は本当に「自由の王国」への橋渡し社会だったのでしょうか。ここでもマルクスとその後継者たちはとりかえしのつかない過ちを犯しています。

 架空の社会主義「過渡期論」
●資 料●
▼事実をことごとく間違って捉えていた日本共産党の社会主義経済優位論(八〇年代)
「いまでは人類の三分の一が社会主義にうつっています。その経験は、物価の安定、失業の解消、社会保障の充実、男女同権など多くの面で資本主義に対する優位性をしめしています」(小林栄三監修『科学的社会主義・下巻』新日本出版社)=実際は資本主義に対して全面的に劣位にあった。 

■その主張
 マルクスは『ゴータ綱領批判』で、資本主義社会から共産主義社会への過渡期について「いまようやく資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会……この共産主義社会は、あらゆる点で、経済的にも道徳的にも精神的にも、その共産主義社会が生まれてでてきた母胎たる旧社会の母斑をまだおびている」とし、「長い苦しみののちに資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会の第一段階」を社会主義と名付けました。
 こうした位置づけを後にソ連共産党は「単一の社会・経済構成体の二つの段階である共産主義と社会主義は、経済の発展度と社会的諸関係の成熟度の点でたがいに差異がある。共産主義のより低い段階からより高度の段階への移行は、合法的な歴史的過程であって、勝手きままにこの過程を乱してはならない…共産主義は、共産主義構成体の第一段階としての社会主義の勝利と強化の結果つくりだされた基盤のうえに発生し、発展するのである」(ソ連邦科学院経済学研究所『経済学教科書』)と解説しています。
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 では、社会主義の勝利と強化とはいったい何をさしているのでしょうか。『経済学教科書』は「過渡期は、プロレタリア権力の樹立からはじまり、社会主義革命の任務・社会主義すなわち共産主義社会への第一段階の建設・である」として、?@プロレタリアートの独裁?A生産手段の社会化?B経済の計画化の三つの政策を推進することをあげています。
 プロレタリアートの独裁を必要とするのは、社会主義社会の段階では革命によって資本家階級を打倒したものの、まだ国内には敵性要素、国外には敵性国家があるために、国防力と警察力を強化しなければならず、したがって「プロ独」が不可避だというのです。
 生産手段の社会化の中には、農業経営を私的所有に基づく個人経営に任せておくと必ず資本主義が復活するとして「農民経済の社会主義的協同組合化」が必須条件として、農業の集団化を含んでいます。また社会主義の完全な勝利を達成するためには重工業(とりわけ機械製作工業)を発展させねばならないとして社会主義的工業化もあげています。レーニンは「社会主義の唯一の物質的基礎となりうるものは、農業をも改造できるような機械制大工業である」(『レーニン全集』)といいました。
 こうして社会主義経済は生産手段の社会的所有と経済の計画化によって、より一層発展していくとします。ソ連の経済理論は「社会主義の経済発展」として次のように主張しました。
 第一に、社会主義経済は「均衡的発展」を遂げるとします。資本主義下では生産は無政府的になされるので経済は不均衡的に発展し、独占資本の誕生と過剰生産がもたらされたが、社会主義下では計画的指導のもとで均衡がとれるというのです。
 第二に、「たゆみない経済成長」が可能とします。資本主義社会では恐慌が周期的に発生して成長が中断するが、社会主義下では恐慌から解放されるので常に上向線をたどって速い速度でたゆまなく発展するというのです。
 第三に、「労働生産性の向上」が実現されるとします。社会主義下では搾取がなくなるので労働生産性の向上に対する阻害が取り除かれ、労働者は団結して働くようになり、労働生産性が著しく向上するというのです。
 第四に、「節約的・効果的な経済」がなされるようになるとします。社会主義計画経済によって無謀な競争と生産の無政府性が克服されるので、社会的労働の膨大な浪費がまぬがれ、また企業内部さらには国民経済全体の規模でも資源の節約と効果的な利用が進められるようになるといいます。
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 以上のように、あらゆる面から見て社会主義経済は資本主義経済よりも優位となるというのが共産主義の過渡期としての社会主義経済の特徴といいます。そうして生産手段の社会的所有と計画経済によって生産力は何ら障害を受けることなく、発展するようになります。しかし、まだ生産力の発展が十分でないので社会主義社会では「各人のその能力に応じて働き、その労働に応じて受け取る」(『資本論』)という状態にとどまります。「労働に応じて」生産物を受け取るので、まだ社会的不平等は残り、頭脳労働と肉体労働の対立、あるいは都市と農村の対立なども存在するというのです。
 こうした状態からさらに生産力が高度に発展し、社会に富が満ちあふれるようになると「各人はその能力に応じて、各人には、必要に応じて!」(『ゴータ綱領批判』)ということが原則となります。そこでは精神労働と肉体労働との差はなくなり、労働は喜びとなり、社会のすべての人々が完全に平等な階級のない社会となります。そのため階級抑圧と強制機関としての国家はついに死滅します(エンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』)。
 これが第二段階の共産主義社会というわけです。『経済学教科書』は次のように述べています。
「共産主義とは、生産手段の単一の全人民的所有と、社会の全成員が完全な平等をもつ、階級のない社会制度のことである。ここでは、人間の全面的な発展とともに、生産力もまた、不断に進歩する科学技術にもとづいて発展し、社会の富のすべての源泉が満々とした流れとなってあふれだし、『各人は能力に応じて、各人には欲望に応じて』という偉大な原則が実現される」
「共産主義とは、自覚した勤労者の高度に組織された社会のことであって、そこでは、社会的自治が確立され、社会の幸福のための労働が万人にとっての第一の生活欲求、自覚された必要となり、各人の能力は、国民の最大の利益をもたらすように適用されるのであろう」
 こうして人間の前史は終わりを告げ、「自由の王国」へと飛躍することによって人間の歴史が始まるとマルクスは高らかに宣言したのです(『経済学批判』)。
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 社会主義社会も共産主義社会も、机上の空論であることは今さら指摘するまでもないでしょう。マルクスとエンゲルスが描き、それにのっとってレーニンとスターリンらがその実現をめざしましたが、結果は理想とはほど遠い、いや天国を掲げて地獄を作ったようなものでした。
 かつてモスクワでこんなブラックジョークが語られていました。
「社会主義経済の二段階を知っているかい?」
「もちろん、第一段階は成長の困難、第二段階は困難の成長!」
 社会主義経済の理論と実際の乖離について次回に見てみましょう。

□批判のポイント□
●計画経済でも「均衡的発展」にはならない
 資本主義の無政府的な生産と違って社会主義経済は国民経済の計画性によって均衡的に発展するとしたが、計画経済イコール均衡的発展とは必ずしもならない。何が均衡的なのか内容が不明であるからだ。ソ連と中国では重工業偏重(重工業と軍事力)で消費財生産が軽視されたため生活水準が著しく低迷した。北朝鮮では計画経済のもと発展そのものが阻害されていることは周知のとおりだ。

●「たゆみなき経済成長」は搾取による発展だった
 ソ連はスターリン時代に米国に比肩しようとするほど工業国に発展したが、それは恐慌から解放され社会の要求に応じて発展したというのではなく、独裁体制による反人間的な労働の酷使と貧困の強要、重工業優先政策による「圧政の成長」による。第2次大戦後、ソ連は社会主義的分業の名の下に東欧を植民地化し、帝国主義的手法による搾取によって成長を維持しようとした(アルビン・トフラー『第三の波』)

●「労働生産性の向上」は見られない
 社会主義経済は強制労働による労働者の労働意欲の喪失と集約的管理体制下における技術革新の停滞、経済効率の低さから労働生産性はまったく向上しなかった。

●「節約的・効果的な経済」はソ連のどこにもなかった
 スターリン自身が「失業者と浮浪児の大群というような事実を目の前に見ながら、このような無駄使いの馬鹿騒ぎや狂宴を許すことはできない」(「ソ同盟の経済情勢と党の政策について」)と述べているように、節約的・効果的な経済はソ連が終焉するまでどこにも存在しなかった。