勝共思想・勝共理論

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01,プロローグ  日本社会に浸透する共産主義

プロローグ
日本社会に浸透する共産主義
 共産主義は終焉しました。ベルリンの壁が崩れ、ソ連が消滅して、東西冷戦に終止符が打たれ十年が経過しました。もはや現在、共産主義が人類解放の思想として輝いていると信じる人は地球上から消え去ろうとしています。共産国として生き残っている中国もWTO(世界貿易機関)に入って市場経済をひた走ろうとしています。その意味で共産主義は終焉したといえます。しかし、私たちの国では終わったはずの共産主義が今なお巧妙に生き残り、教育界、マスコミ界、政界、官界など、あらゆるところに跋扈(ばっこ)し思想的影響力を発揮し続けています。共産主義的な物の見方・考え方であると自覚しないうちにそれを自分の考えとしている国民も見受けられます。それが思想の特性でもあります。共産主義とは一体何なのか、その批判と克服の勝共思想講座を改めてシリーズで紹介していきます。



 いま学校で行われている性教育の中で過激なグループが暗躍しています。
 その一つに「“人間と性”教育研究協議会」というグループがあります。山本直英という人物を中心にしたこのグループは「性の解放」を主張し、彼らがまとめた性教育の教科書副読本「ひとりで ふたりで みんなと」(小学生用=東京書籍)などには、露骨な性描写の図などが載っていて父兄を驚かせます。実際、こうしたグループのメンバーは教室にコンドームを持ち込み、「性交を早く教えることは良いことだ。性の解放は正しいことだ」と、性教育ならぬ「性交教育」を推進しているのです。
 このグループは公然とは言いませんが、共産主義思想を信奉していることは疑う余地がありません。別掲の彼らの趣意書にある「科学と人間の尊重の思想」というのは、いったい何なのでしょうか。また「道徳主義的・純潔至上主義的」な教育を「歴史の逆行」と捉える、その「歴史」とは何なのでしょうか。現在の性の状況(つまり性の商品化や氾濫など)を「人間の歴史の中の解放の側面」と位置付ける「解放」とは何なのでしょうか。
 それらは、宗教や道徳を「上部構造」と捉え「土台」(生産関係)に規定される「支配の道具」とする唯物史観からきていることは明らかです。歴史を階級闘争による発展史と見て、現在の資本主義社会から社会主義社会へと移行していくことが「解放」であるとし、そこで資本主義社会の道徳主義を「歴史の逆行」と決めつけるのです。それゆえにこのグループの主張にはやたら「解放」という表現がでてくるのです。これが共産主義思想でなくて何でしょうか。
 山本直英は、自分たちの理念について「1920年代という早い時代に、科学的な性教育を提起した生物学者・山本宣治を性教育のわが国のパイオニアとすれば、その本流を(われわれが)継ぐもの」と自賛しています。山本宣治(1889~1929年)を生物学者と呼んでいますが、ご存じでしょうか。生物学者としては知らなくても、政治家ならあるいは知っておられる人がいるかも知れません。山本宣治とは日本共産党の党史で「革命の英雄」とされ、ヤマセンと呼ばれた共産主義者であることは年輩者なら誰でも知っていることです。
 共産党は共産主義のことを「科学的社会主義」と言います。「科学的な性教育」とは共産主義思想のそれであり、その「奔流を継ぐ」過激な性教育推進グループは共産主義運動として、性教育を学校の場に持ち込んでいるのです。



 国会では現在、民法改正案を提出するかどうか紛糾しています。民法改正案とは選択的夫婦別姓制の導入案のことであり、ここにも共産主義が巧妙に浸透しています。
 もともと夫婦別姓導入論は共産主義・人権学者によって提唱されてきました。彼らは1985年に批准された「男女差別撤廃条約」を持ち出し、夫婦同姓は男女差別であると決めつけ、「姓名は個人名であり、夫婦同姓は一方の配偶者が改姓を強制されるので憲法13条の個人の尊厳の保障条項に違反する」などと主張してきました。
 なぜ夫婦同姓が個人の尊厳を踏みにじるのか、理解しがたい国民が圧倒的に多いのではないでしょうか。もし夫婦同姓が個人の尊厳を侵しているなら、少なくとも「改姓を強要」されたという夫婦のいずれかが個人の尊厳を侵されたと憤慨してもよいはずですが、そんな話は聞きません。
 むろん、改姓で不利益を被ったとの声は一部で聞きますが、それは少数ですし、それなら旧姓を通称として名乗れるようにしておく手もありますが、そうではなくて、何かといえば個人、個人と騒ぎ立て、ことさら「家族の絆」としての同姓を忌避するのは、何らかのイデオロギー理由があるからと思わざるを得ません。
 そうなのです。それこそ共産主義的家族観の反映なのです。共産主義では家族とは男性が女性を支配する「最初の階級闘争の場」(エンゲルス)と捉えるのです。だから夫婦同姓を「支配の形態」と考えるのです。この解体を図ることこそ「解放」「民主化」であり、それには夫婦別姓の導入が必要であるとするのです。このような共産主義による家族解体の陰謀があることを知ってか知らずか、自民党の国会議員まで選択的夫婦別姓制導入の旗振り役をしているのには驚かされます。
 共産主義的家族観は他の社会保障政策にも巧妙にもぐり込んでいます。共産主義を信奉する社会学者は、家族を考慮した税制上の優遇処置や家族手当、あるいは社会保障制度を家族を維持するための「支配の道具」とし、これらの廃止を目論んでいます。「配偶者も就業すべき」「働かざる者は食うべからず」として妻や母を「労働者」に仕立てあげようとした旧ソ連式の人間観が、「男女共同参画社会の実現」や「社会保障における男女平等化」の美名のもとで、21世紀の日本の社会保障政策に導入されようとしています。



 日本という国家を忌み嫌い、ことあるごとに「国家解体」論を主張する朝日新聞をはじめとする大手マスコミ。そこには全共闘時代に共産主義思想にかぶれ、50歳代になってもそこから脱することができない一部の団塊の世代の存在を見逃せません。彼らは管理職になって紙面や番組を牛耳り、巧みに共産主義的な物の見方・考え方を発信し続けているのです。官界には今なお共産主義労組が闊歩しているだけでなく、戦前の国家社会主義を信奉しているに違いないと思われる「大きな政府」論者がエリート幹部として居座っています。
 何よりも問題なのは、日本共産党が共産主義はもとより暴力革命を放棄したわけではないことです。全国の自治体には四千人以上の共産党議員がおり、これは政党所属議員としては最大勢力なのです。そして地方自治体、地域社会で共産主義に基づく政策実現を企てています。共産主義思想は日本社会の中で生き続け、その影響力を高めようとしているのです。共産主義思想を今、問わなければならない理由がそこにあります。

■文献
▼「“人間と性”教育研究協議会」設立趣意書
「性教育への期待の中には、道徳主義的・純潔至上主義的な傾向も根強く、歴史を逆行させる恐れすらみられる。私たちは現在性の状況が、とりわけ子どもを混乱させていることを憂慮するものではあるが、それが人間の歴史の中で解放の側面を持っていることも見逃してはなるまい。私たちが考える性教育の基本方向は、日本の歴史が歴史的に作り上げてきた性への偏見を払拭し……科学と人間の尊重の思想をこの分野の教育に貫くことでもある」(抜粋)

■登場人物
●山本直英(1932~2001) 
 早稲田大卒。吉祥女子中学・高校副校長を経て、「“人間と性”教育研究所」所長をつとめ、「ヒューマンな性教育の推進」の名のもとに性の解放運動を展開。今年、死去。

●山本宣治(1889~1929) 
 京都市出身。東京帝国大学で動物学専攻。同志社大学予科講師となり学生に「人生生物学」を講義、性教育啓発家として活動。日本農民組合に入り南山城地方の小作争議を指導し1928年、第1回普通選挙に京都府第2区より立候補し当選。29年の大阪での全国農民組合大会では「実に今や階級的立場を守るものはただ一人だ、山宣独り孤塁を守る」などと挨拶。同年、暗殺される。共産主義者の「英雄」とされている。

■用語解説
●土台と上部構造
 共産主義の歴史観である唯物史観の柱のひとつ。経済的諸関係が社会の土台であり、その上に意識諸形態(イデオロギー)が上部構造として立てられているとの見方。上部構造は土台の上に形作られるので宗教や道徳、倫理などは土台を強化する役割を担っているとし、この考えから中国の文革のような文化破壊が正当化される。

●唯物史観
 マルクスが『ドイツ・イデオロギー』(1846年)で仕上げた歴史観で弁証的唯物論の歴史版。社会発展の合法則性を明らかにしたというもので、不断に発展する生産力に対して生産手段をめぐる支配・被支配の生産関係が生じ、その打破(階級闘争)によって歴史が発展するとの見方。歴史を階級闘争の歴史として捉え、闘争・革命が歴史発展の原動力とされ暴力革命の正当化の理論的根拠とされた。