勝共思想・勝共理論

文字サイズ

21,唯物史観・7  破綻した「階級国家論」

唯物史観・7
破綻した「階級国家論」
[キーポイント]
 唯物史観によると、原始共産制の社会では階級がなく、したがって搾取や支配はなかったといいます。しかし生産力の発展に伴って分業が生じ、その結果、私有財産が生まれるようになると、その私有財産をめぐってそれを支配(搾取)する階級と支配(搾取)される階級が生じるようになったと考えます。つまり、今日の社会は「支配階級と被支配階級」からなる階級社会であり、国家はその支配階級の「支配の道具」というのです。これが「階級国家論」です。ですから、国家はあくまでも支配階級のものでしかありません。打倒する対象にはなっても愛する対象にはなりえないのです。国家を敵視する共産主義者の理論的根拠が「階級国家論」です。

■その主張と批判
 エンゲルスは『家族、私有財産および国家の起源』という著作の中で、生産力の発展によって分業が生じ、その結果、私的所有が生まれて、原始共同体が破壊され、和解しえない階級社会が到来したと説きます。この階級対立のうちから不可避的に国家が出現した、というのがエンゲルスが主張する「国家の起源」です。
 つまり、国家は階級社会以前の社会では存在せず、階級社会の発生とともに生じたというのです。
「こうして、国家は永遠の昔からあったものではない。国家なしですんでいた社会、国家や国家権力を夢にも知らなかった社会が存在していた。諸階級への社会の分裂と必然的に結びついていた一定の経済的発展の段階で、この分裂によって国家が一つの必然事となった」(同)
     ▼
 では、国家とはどのような存在でしょうか。エンゲルスはこういいます。
「国家は階級対立を制御する必要から生じたのであるから、しかしそれは同時にこれらの階級の抗争のただなかで生じたのであるから、それは通例、もっとも有力な、経済的に支配する階級の国家である。そしてこの階級は、国家を通じて、政治的にも支配する階級となり、こうして、非抑圧階級を抑制し搾取するための新しい手段を獲得する。こうして、古代国家は、なによりもまず奴隷を抑制するための奴隷所有者の国家であったし、同様に封建国家は、農奴・隷農的農民を抑制するための貴族の機関であったし、近代的代議員制国家は、資本による賃労働の搾取の道具である」(同)
 このように生産力の発展によって生じた階級社会において、少数者である一つの階級が、多数者である他の階級(大衆)を搾取し、支配するようになるが、そのとき、階級支配の機関として国家が生まれたというのです。そこでは軍隊や警察は被支配階級の反抗を粉砕するための国家のもつ強制機関とされます。
     ▼
 このような階級国家論はマルクスが共産主義思想を作り上げる初期の段階で、すでに登場します。マルクスはヘーゲル批判から共産主義思想の構築にとりかかります。ヘーゲルは『法の哲学』で「国家は人倫の理念の現実性である」として、自由を理念とする絶対的精神が地上において現実化された「最高の形態」を国家ととらえました。このヘーゲルの国家像を批判する中で階級国家論が生まれたのです。マルクスによれば、国家はもっとも忌む嫌うべき存在であり「抑圧と搾取の道具」でしかありません。
 レーニンは「マルクスによれば、国家は階級支配の機関であり、一つの階級による他の階級の抑圧機関であり、階級の衝突を緩和しつつ、この抑圧を合法化し強固なものにする『秩序』を創出するものである」(『国家と革命』)といいました。その秩序とはいうまでもなく、支配階級の「秩序」です。とするなら、革命は国家を打倒することに他なりません。
 そこでマルクスは『共産党宣言』(1848年)で「今日まであらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」として「共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を暴力的に転覆することによってのみ自己の目的を達成することを公然と宣言する。支配階級よ、共産主義革命のまえにおののくがよい」と宣告したのです。『共産党宣言』は国家打倒宣言なのです。
     ▼
 こうして社会主義革命を成し遂げた後に何が来るのでしょうか。生産力がさらに発展すると、ついに階級が消滅して共産主義社会が到来すると、エンゲルスは次のように述べます。
「いまわれわれは、これらの階級の存在が必然的なものでなくなったばかりか、かえって断然生産の障害になりつつあるような、そういう生産の発展段階に急歩調で近づいている。階級の消滅とともに、国家も不可避的に消滅するだろう。生産者の自由で平等な協同関係を基礎にして生産を組織しかえる社会は、国家機関の全体を、そのときそれが当然におかれる場所へうつすであろう、――すなわち、糸車や青銅の斧とならべて、古代博物館へ」(『家族、私有財産および国家の起源』)
 つまり、国家は消滅してしまうというのです。レーニンはこういいます。
「国家が完全に死滅しうるのは、社会が『各人はその能力に応じて、各人にはその欲望に応じて』という準則を実現するとき、すなわち、人々が能力に応じて自発的に労働するほどに、共同社会の根本的規則をまもることに慣れ、彼らの労働がそれほどに生産的なものになるときであろう」(『国家と革命』)
     ▼
 それにしても階級国家論、そして共産主義社会における国家死滅論は、論理的一貫性があるように思われません。
 なぜなら、初め(原始共産制社会)は「生産力の発展」が階級発生の原因であったのに、後(社会主義社会)ではそれが階級消滅の原因となっているからです。こんな非論理的な話はありません。「生産力の発展」を魔法のランプに使っているのです。ここに共産主義の欺瞞性がはっきり現れています。
 さらにレーニンがいみじくも述べているように、国家が死滅するには、人間の「能力」と「欲望」、さらには「根本的規則をまもる」といったきわめて精神的な要因が不可欠としています。「生産力の発展」という物質的条件ではなく、精神的条件によって共産主義(国家の死滅)が到来するなら、なぜ最初から精神革命を説かないのでしょうか。論理的矛盾がはなはだしいでしょう。
     ▼
 皮肉にも、共産主義が提示した階級国家論は社会主義国において恐るべき支配機構として立ち現れることになりました。
 共産主義によれば、支配階級はひとたび国家権力を掌握したら絶対に手放さないとして、プロレタリアートによる暴力革命が必然とし、さらにプロレタリアートが政権を奪取しても、ブルジョアジーは国家権力を奪い返そうと必死になるので、プロレタリアートはこれを死守する強固な国家権力の保持が不可避となると主張しました。これがプロレタリアート独裁という名の恐るべき共産独裁国家への道を開いたのです。
 レーニンは『国家と革命』でこういいます。
「プロレタリアートには国家が必要だ、…国家は特殊な権力組織であり、ある階級を抑圧するための暴力組織である。では、いかなる階級をプロレタリアートは抑圧しなければならないのか? いうまでもなく、搾取階級すなわちブルジョアジーだけである。搾取者の反抗を抑圧するためにだけ国家が必要なのである」
 レーニンら共産主義者がつくったソ連をはじめとする共産国家では、国家は敵対するものにブルジョアジーのレッテルを貼って抑圧する「暴力組織」となりました。階級論だけで国を捉えた場合の悲劇をそこに見ることができるでしょう。

■資 料■
 日本共産党が描く共産主義日本の「国家死滅」像
 「共産主義社会では、社会主義日本にはまだのこっていた工業と農業の、都市と農村との格差や、技術者と肉体労働の仕事の差異もすっかりなくなります。またどんな権力も暴力も必要としない社会となり、戦争もなくなります。階級支配の機関である国家は、その存在の足場うしなって死滅し、原則としてあらゆる強制、国家そのものがなくなってゆき、『各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの共同社会』(『共産党宣言』)が実現されます」
(日本共産党中央委員会教育局編 『基本課程』84年刊)

■代 案
●現代の国家像
 21世紀のいま、国家は「現代国家」と称されている。つまり、国内の治安維持と外敵にあたる最小限の役割をになった夜警国家から経済的弱者を保護する福祉国家へ、さらには立法府を最高機関とする立法国家と国民生活の多くに関与する行政国家へと移行したように、国家の役割は国民生活の維持のためにますます大きくなっている。
 民主社会においては階級支配の強化のために国家が機能しているのではない。普通選挙法のもとで国民は等しく選挙権を有し、代表者を通じて立法府を組織し、議会の議決を経た法律に基づいて、つまり法治国家として民主主義的に国が運営されている。
 これに対して階級国家として国家を捉えた共産主義国では、そうしたイデオロギー的解釈のもとで自ら階級国家、独裁国家を作っており、国家の形態は「生産力の発展」を絶対条件としていない。

●統一思想の国家像 
 統一思想では、神は被造世界を完成した人間一人の構造を基本として創造されたとみる。したがって国家も人間一人の構造を基本として存在していると考える。頭脳を中心に神経のコントロールのもとに肺や心臓、胃腸などの臓器が有機的に機能して人間全体の円滑な生活を送らしめているように、憲法を中心に神経に該当する政党の政策を基本に三臓器に該当する立法、司法、行政の三機関がお互いに円滑な授受作用を行って国民全体の福利を図る機能を果たすのが国家である。