唯物弁証法・6  「量から質への転化の法則」の誤謬

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13,唯物弁証法・6  「量から質への転化の法則」の誤謬

唯物弁証法・6
「量から質への転化の法則」の誤謬
[キーポイント]
これまで唯物弁証法のうち「矛盾の法則」(対立物の統一と闘争の法則)の間違いをみてきました。今回は「量的変化の質的変化への転化の法則」(量から質への転化の法則」)です。この「法則」は簡単にいいますと、事物の発展において漸次的(だんだん、次第に)な量的変化が徐々に蓄積されて、ある一定の点に達すると突然に飛躍的な質的変化が引き起こされる、というものです。いうまでもなくこの「法則」を根拠に暴力革命を正当化しようというのです。はたして真実はどうでしょうか。

■ その主張と批判 ■
「量的変化の質的変化への転化の法則」が科学的だとしてマルクス主義者がとくに強調するのは、これを根拠に暴力革命もまた科学的、正当的であるといいたいがためです。
 このことをスターリンはずばりこう述べています。
「緩慢な量的変化が、急速な突然の質的変化へ移行することが発展の法則をなしているならば、被抑圧階級のおこなう革命的変革が、まったく自然な、不可避的な現象であるということは、明白である。つまり、資本主義から社会主義への移行、資本主義的抑圧からの労働者階級の解放は、緩慢な変化によってでなしに、改良によってでなしに、ただ資本主義制度の質的変化、すなわち革命によってのみ実現されうるのである」(『弁証法的唯物論と史的唯物論』)。
 ここでは「急速な突然の質的変化」というのがミソです。つまり唯物弁証法はこの法則によって資本主義社会が革命という突然の質的変化を通じて社会主義社会(共産主義社会)へと発展すると主張するのです。
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 ではこの「法則」は本当に科学的でしょうか。マルクス主義者は科学的であることを実証するとしてマルクス主義者は次のような例を引き合いに出します。
 その1。水の状態変化の例です。エンゲルスはこういいます。
「水は標準気圧のもとでは、摂氏零度で液体状態から固体状態に移行し、摂氏100度では液体状態から気体状態に移行するのであって、従ってこの場合にはこれら 2つの転換点では、温度の単なる量的変化が水の質的に変化した状態をひき起こすのである」(『反デューリング論』)
 水の水蒸気や氷への変化は、水分子の分子間力と分子運動エネルギーの相互関係によって起こる状態の変化です。この水の状態変化は、はたして突然の質的変化なのでしょうか。
 摂氏零度で水が氷になるとき、一瞬のうちに水から氷への質的変化が起こるわけではありません。融解熱に等しい熱を取り去るにつれて(すなわち量的変化につれて)徐々に水は氷になるのです。また水が水蒸気になるときも同じで蒸発熱に等しい熱を加えるにつれて(量的変化)徐々に水蒸気になるのです。
 しかも水から水蒸気への変化は沸点(100度)だけで生ずるのではなく、常温でも蒸気圧が飽和点に達するまではどんどん蒸発し続けています。ですから、エンゲルスの説明は間違いです。量的変化が一定の点に達するとそれが突然に飛躍的な質的変化を引き起こすという現象は存在しないのです。
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 その2。綱の切断、ボイラーの爆発。旧ソ連の理論家コンフォースは次のような例をあげます。
「重いものをひきあげる綱には、だんだん重い荷をつけていくことはできるが、どこまで荷が重くなってもなおそれをひきあげられるような綱はない。ある一定の点までくると、綱は切れざるをえない。ボイラーは蒸気の圧力をある程度強くなっても、それに耐えられることができる。しかし、ある点までくると爆発してしまう」(『唯物論と弁証法』)
 なるほど綱は切れ、ボイラーは爆発しますが、それがどうして量から質への転化の法則を実証する例になるというのでしょうか。
 この法則は量的変化が質的変化へと移る法則ですから、綱の量的変化(荷重によって伸びる綱の長さの変化)やボイラーの量的変化(蒸気の圧力によって膨張するボイラーの体積の変化)がある点に達したとき、綱あるいはボイラーの質が飛躍的に変化して新しい質の綱、新しい質のボイラーとなれば実証例になりますが、実際は綱やボイラーは破壊されてしまうのです。切断や破壊によっては新しい質の綱やボイラーはまったく現れることができません。これはこの法則の間違いを示しています。
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 その3。支配関係の変化としての例。マルクス主義者は対立物(矛盾)における支配と被支配の関係が逆転するときに事物の質的変化が生じると主張します。
この法則では、突然の飛躍的な質的変化として社会革命をとらえるわけですが、それを支配・被支配の力関係の逆転という立場でみるのです。
 毛沢東はこういいます。
 「(事物の内部の新旧二つの側面の矛盾は)しだいに闘争の結果、新しい側面は、小から大にかわり、支配的なものになる。古い側面は、大から小にかわり、しだいに滅亡するものにかわる。そして ひとたび新しい側面が古い側面にたいして支配的な地位を獲得するとき、古い事物の性質は新しい事物の性質にかわる」(『矛盾論』)
 このような支配・被支配の力関係でみる主張を証明する例としてコンフォースは「たとえば個体、液体、気体という物体の状態は、それぞれ物体の分子の状態を特徴づけるところの牽引と反発の統一におけるちがった支配関係に対応している」(『唯物論と弁証法』)と述べています。
 水の状態変化では、たしかに氷は分子間力(牽引力)が分子の運動エネルギー(反発力)に勝っており、これに対して氷が水になるとき、分子の運動エネルギーが分子間力にうち勝つことが知られています。これを牽引力と反発力の支配関係の逆転とみるならば、水が水蒸気になるときは支配関係が逆転したとはいえません。水蒸気になったのは分子間力にうち勝った分子の運動エネルギーがさらに支配的になっただけのことだからです。
 ですから、支配関係が変化(逆転)するときに質的変化が起こるという主張も誤りです。しかも水の状態変化は、そもそも発展とは関係のない可逆的(逆の方向の変化も可能なこと)な現象にすぎないのであって、このような例をもって社会の発展を裏付けようとするのは間違いといわねばなりません。
 毛沢東やコンフォースは対立物(矛盾)における支配被支配関係の変化の主張を通じて、革命によって支配階級と被支配階級の位置が転倒するところの革命を正当化しようとしたわけですが、これは革命を正当化する策略にすぎません。
「量的変化の質的変化への転化の法則」は科学でなくて革命のための策略なのです。

■資 料
▼マルクス「量から質への転化の法則」の社会革命への応用
「貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取はますます増大してゆくが、しかしまた、絶えず膨張しながら資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大してゆく。……生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的な外皮とは調和できなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最期を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される」(カール・マルクス『資本論』)

■批判のまとめ

【1】水の状態変化は可逆的な現象にすぎない
 水の水蒸気や氷への変化は水分子間力と分子運動エネルギーの相互関係によって起こる状態の変化であり「突然の質的変化」ではない。H2Oに本質的変化はなく、常温でも蒸気圧が飽和点に達するまでどんどん蒸発し続ける。 
【2】綱の切断やボイラーの爆発は破壊であり発展ではない
 これは量から質への転化の法則とは何ら無関係な話。綱が切れボイラーが爆発してもそれは壊れたのであり、発展したのでも質的に移行したのでもないのは明らかだ。
【3】支配・被支配関係が変わって質的移行がなされたわけではない
 自然界に支配・被支配関係の逆転で質的移行がなされた実証例は存在しない。

■代 案

質と量の均衡的発展の法則(性相と形状の均衡的発展の法則)
 統一思想では事物は性相と形状の相対的な両側面をもち、その相対物の授受作用により変化・発展(成長)すると見る。その際性相と形状は主体と対象の関係にあり同時的、漸次的に変化。ここに質と量は各々性相と形状に相当し結局、質と量は同時的、漸次的に変化していく。
 量から質への転化の法則は量の変化が先次的で質の変化が後次的であることを意味するが、実際はそうではない。質と量の変化は同時的で、量(形状)的変化を通じ、すなわち量を手段として質(性相)的変化として現れる。たとえば植物や動物が成長する場合、種子や卵の中には成長後の花や動物の性質の原型が理念(性相)として初めから宿っており(遺伝子学には成長後のすべての情報が受精卵のDNAに蓄えられている)、それが物質的、量的な素材を通じて現実化される。
 従って質と量は現象的に見れば同時的に変化し、しかも両者の相互関係において質が原因的または主管的で、量が結果的または被主管的である。これを「質と量の均衡的発展の法則」または「性相と形状の均衡的発展の法則」と呼ぶ。