勝共思想・勝共理論

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47,人間疎外論の克服・5 新しい価値観運動を起こそう

人間疎外論の克服・5
新しい価値観運動を起こそう
[キーポイント]マルクスは憎悪や妬み、仕返しを動機に共産主義思想を体系化し、そしてその思想による実践(革命)をうながしました。ですから共産主義から人々を解放するには、まず動機から解放し、ついで思想から解放し、そして最後に実践から解放しなければなりません。マルクス人間疎外論から学んできたように、疎外の本質は労働生産物からの疎外ではなく、「真の愛」からの疎外にほかなりません。したがって、共産主義を克服するには、まず最初に私たちは「真の愛」に立ち返り、すべの人々が納得できる新しい価値観を定立しなければならないでしょう。


■その代案
 統一思想による人間疎外の解決の方案とは、全く新しいことではなく、それはまさにキリスト教の「神の愛」、仏教の「慈悲」、儒教の「仁」、イスラム教の「アラーの愛」を真の意味で正しく捉え、それを実践することなのです。これらで代表される宗教は、本来の価値を失った人間が、絶対的愛と絶対的価値を実現できるように、今日まで全人類を導いてきました。
 神の愛や慈悲、仁を実践するためには、人々はイエスや釈迦や孔子の教えに従って生活しなければなりません。教えとはすなわち規範のことであり、価値観のことです。価値観とは、善悪の価値判断、つまり「何が正しいか、何を最も貴いもの、価値あるものと観るか」という観点をいいます。イギリスの歴史学者トインビーが「世界四大文化圏の発生の源泉は宗教にある」と述べているように、宗教が人々の価値観を形づくり、文明を生みだしてきたのです。
 私たち日本の伝統的価値観も、その根底には日本の伝統的宗教が存在していたといえます。たとえば聖徳太子が作った十七条憲法は、その中心思想が「三宝」すなわち仏教ですが、儒教の道徳を十分にとり入れると共に神道的信仰にも門を開き、神仏儒が調和されています。こうした宗教的背景のもとで「和の精神」と称される日本の伝統的価値観が形成されてきました。
 このように、いずれの国も宗教をバックボーンに価値観が国民に形づくられてきたといえます。
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 ところが今日、こうした宗教的教え、価値観がその説得力を失いつつあります。それは科学的思考方式に慣れた現代の人々を納得させるだけの論理性と実証性をもたなくなったからであり、また社会の唯物論的風潮や唯物論的教育の施行などにより、宗教や倫理、道徳が軽視され、とりわけ共産主義によって意図的に価値観の破壊が行われてきたからです。
 共産主義による価値観の破壊とはいかなるものでしょうか。マルクス主義疎外論でいえば、疎外からの解放をめざすのが共産主義ですが、それはかえって経済的停滞、自由の剥奪、労働の強制の苦痛、権力に応じた配分など、より一層の人間性の蹂躙(じゅうりん)をもたらしました。これを価値という側面でみれば、共産主義は既存の価値観を破壊する思想となったのです。
 このことは本シリーズの「共産主義唯物論」で紹介しました。共産主義唯物論は、単なる人道主義的な唯物論とは違って戦闘的唯物論です。宗教的価値観を一切、許容せず、その存在を許しません。すべての思想を党派性をもって識別し、共産主義唯物論でないものは、すべて支配者階級(ブルジョアジー)に奉仕する思想と断ずるからです。
 本シリーズの「唯物史観」で「土台と上部構造」の考え方を紹介しました。社会の土台は生産関係(例えば資本家と労働者という支配・被支配関係)であり、上部構造である宗教や思想、価値観は土台の産物であり、しかも土台を強化・固定化するために働くという考え方です。つまり、資本主義社会に存在する価値観は、資本主義の産物にすぎず、資本主義を強化・固定化するような価値観を提供するので、労働者階級(プロレタリアート)に敵対するというのです。
 それゆえに、共産主義は既存の価値観を支配階級に奉仕するものとして徹底的破壊を試みるのです。共産政権を樹立すれば、その破壊は強権をふるって行われ、資本主義社会の中でも文化や教育、思想、メディアなどさまざまな分野で
“価値観壊し”が繰り広げられることになります。
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 このように共産主義は従来の宗教的価値観を否定して、人々を革命へと駆り立てようとします。革命に動員できなくても、価値観を壊して社会秩序を揺るがそうとします。
 従来の宗教的価値観は主として個人の救いを中心としていますが、これに対して共産主義は社会の貧困や差別を解決すべきであると迫ります。また神の愛とか、慈悲とか、仁とか、アラーの愛とか、人類愛とかいっても、観念的であって実践できるものではないといい、階級社会においては、プロレタリアートの側に立つか、ブルジョアジーの側に立つか二者択一だとし、真の愛は階級愛であり、同志愛であると主張するのです。
 さらに最近では、国家体制の転覆をめざす正当派共産主義が衰退したことを受けて、フェミニズムやジェンダーフリーなどと呼ばれる文化共産主義が徘徊しているのも、ひとつの特徴です。彼ら(彼女ら)はマルクス主義を再構築し、女性解放論を唱えます。それは、従来のマルクス主義が「プロレタリア解放による家族解体が、女性解放につながる」としていたのに対して、プロレタリアが解放されたはずの共産圏でも家族解体による女性解放が実現できなかったと捉えます。そこで資本主義社会の中にあって女性解放を実現しようと、経済自立のみならず「性の解放」による抑圧からの解放(フェミニズム)、そして男と女に対する社会的・文化的な型や概念(ジェンダー)の否定・解消(ジェンダーフリー)を主張するのです。
 たとえば過激な性教育を学校に持ち込んで性倫理の破壊を企て、あるいは男女共同参画社会の美名のもとで男らしさや女らしさを一掃し伝統的な結婚観や家族観を破壊しようと目論んでいます。
 このような共産主義の攻撃に対して従来の宗教的価値観は有効に反撃することができず、かえって共産主義に汚染されて次第にその説得力を失ってしまっているのが現実です。また宗教界は多くの信者を共産主義に奪われてしまいました。ひいては宗教(特にキリスト教)自体が共産主義を容認する、つまり容共化する傾向まで現れたのです。
 そこで今日、従来の宗教的価値観を共産主義による価値観破壊から守り、それらを蘇生せしめ、かつ新しい次元に高めながら、統一せしめる新しい価値観運動が起こらなくてはなりません。すなわち価値観の統一運動を展開しなくてはならないのです。それは従来の価値観に新たな神学的根拠、哲学的根拠、歴史的根拠などを与えて、ゆるぎない絶対的価値観(普遍的な価値観)を確立することです。
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 マルクスが「マルキスト」になった動機は憎悪と嫉妬、怨念などでした。それを真の愛、慈悲による絶対的愛によって人間性を回復せしめ、その動機から解放しなければなりません。そして、マルクスの思想すなわち弁証法的唯物論、唯物史観、資本論の代案を提示し、その思想から解放しなければなりません。それが統一思想が提示した授受法・調和の法則、統一史観、効果価値説などです。さらに彼らの実践すなわち自由の剥奪や宗教弾圧、労働の強制などから解放しなくてはなりません。それには共生共栄共義社会の実現をめざす一大運動が必要となります。
 ですから、私たちは「万国の人々よ、新しい価値観運動を展開しよう」と主張するのです。新しい価値観運動が世界的に展開されてこそ、共産主義問題の真の解決があるのです。
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 以上で「勝共思想講座」を終わります。ご愛読ありがとうございました。来年から新たな企画で勝共思想を紹介していきます。ご期待下さい。
(執筆担当・増 記代司)

■絶対的価値観の確立のために
●神学的根拠を与える
 すべての価値観の基盤となっている絶対者―キリスト教の「神」、仏教の「真如」、儒教の「天」、イスラム教の「アラー」など―の存在を、現代の人々が納得し得るように論理的に解き明かすことであるが、それは絶対者の存在に対する新しい本体論を確立することである。それは絶対者を明らかにするのみならず、神の創造目的を明らかにすることにより、なぜ神は宇宙を創造されたのかという根源的な問いに答えることのできるものでなくてはならない。

●哲学的根拠を与える
 自然法則および倫理法則は共に「天道」が現れたものであって、宇宙のすべての存在がこの法則に従うことによって、宇宙の運行に調和と秩序が現れ、自然界に美が現れるように、人間社会においても、家庭社会や社会生活において規範すなわち倫理法則を守ることによって、人間社会に調和と秩序が保たれ、愛が実現されるということを明らかにすることである。

●歴史的根拠を与える
 孟子が「天に順(したが)う者は存じ、天に逆らう者は滅ぶ」と語ったように、善因善果、悪因悪果という因果応報の法則が歴史を貫いて作用したことを明らかにすることである。すなわち、歴史は神が人類を本来の位置と状態に復帰すべく導いてこられた歴史であるということ、悪は善は抑えて一時的には栄えることがあったとしても、やがては滅びていかざるをえなかったということ、そして善は悪の側からの迫害を受けて一時は敗北したように見えても、結局は勝利するようになっているということを明らかにすることである。